小峰秀孝さん(65)=長崎市さくらの里 「今、戦争と戦争のはざま」
「生きたネコを縛り川に投げ込む。捕まえたヘビは形が分からないぐらいまですりつぶす。虐待行為に快感すら覚えた」
七月三日、長崎市岩屋町、市立岩屋中の体育館。全校生徒六百十七人を前に、衝撃の告白を繰り返した。予定された一時間のうち、六十一年前の被爆当日の体験は三分の一程度。その後の人生をどう生きてきたかに多くの時間を割いた。
小峰さんは四歳の時、爆心地から一・五キロ離れた同市錦一丁目(当時の長崎市西郷狩股)の自宅裏畑で被爆。両手、両足、腹に大やけどを負った。体の前面はケロイドで覆われ、右足は熱線で変形し親指以外の四指は通常の位置にない。
「腐れ足、鳥の足、ガネ(カニ)の足」。少年時代、同級生や教師から執拗(しつよう)ないじめを受けた。「悔しい、悲しい、苦しい」。ストレスの矛先は身近な小動物を虐待することに向かったという。
被爆者に対する周囲の冷たい仕打ち、自らに芽生えた心の闇まで含め過去の境遇をさらけ出す。相手の両親に反対され続けた結婚や離婚の経験まで話すのは、同情を引くためではなく、戦争や原爆がもたらす結果が悲愴(ひそう)なものでしかないことを分かってほしいからだ。
「原爆は本人だけでなく家族の人生も狂わせる。平和はまず身近なところから。他人に対する思いやりを持って一生懸命生きてほしい」
被爆者運動をリードしてきた山口仙二さんの勧めで一九九一年から始めた語り部活動も十五年。「大上段に構えて平和を訴えるのは空々しくて」と日常生活の中からの平和活動の大切さを訴えてきた。最近はアフガニスタンで使われた劣化ウラン弾の放射線被害なども取り上げる。
「日本は今、戦争と戦争のはざまにある」と危機感が強い。「平和な時を百年にするか、二百年にするか。君たちがよく考えてほしい」。講演で若者に向けるメッセージにも切迫感がにじむ。
「語り部の仲間が次々に亡くなっている。いずれは自分も死ぬ。それまで一日一日を大切に生きたい。そして一日でも早く核兵器と戦争がなくなるよう訴え続けたい」