長崎原爆資料館10年
 =歩みとこれから= 4

この春、長崎市直営での運営を選択した長崎原爆資料館(左手前)

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長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 4 機能充実 問われる専門性強化

2006/04/29 掲載

長崎原爆資料館10年
 =歩みとこれから= 4

この春、長崎市直営での運営を選択した長崎原爆資料館(左手前)

機能充実 問われる専門性強化

公の施設に民間の管理、運営手法を取り入れる指定管理者制度がこの春、長崎市でスタートした。市公会堂など百二十五施設が指定管理者に移行したが、長崎原爆資料館(長崎市平野町)は直営での運営を選択した。

「世界で二つの原爆資料館。被爆者が高齢化する中、核兵器拡散やチェルノブイリ原発事故の放射線被害などもあり、社会的、世界的に果たす役割はますます大きくなる」。伊藤市長は「被爆の実相を伝え、核兵器廃絶を訴える資料館の意義」を強調し、直営選択の理由を説明した。

もう一つの被爆地広島は一九九八年、財団法人広島平和文化センターに原爆資料館の運営を委託した。同センターは▽図録発行や被爆資料のデータベース化などの事業推進▽専門学芸員の配置による学芸、研究機能の強化―など法人化の効果を挙げる。

一方、長崎原爆資料館は市職員が資料の収集や調査、問い合わせなどに対応。その職員は通常の人事異動で数年ごとに交代する。館長を例に取ると、十年間で八人、旧長崎国際文化会館時代を合わせると二十九人が務めてきた。

専門的な学芸機能の充実を求める声は強い。これに対し、中西賢一館長は「学芸員の配置が定められた博物館法の適用外だが、学術施設としての専門性を認識し努力を重ねている」と語り、伊藤市長も「被爆者が少なくなる現実を直視し、資料館の機能や役割について、柔軟に対応する準備に入らないといけない」との考え方を示す。

「単に学芸員を置けばいいものではない」。そう言い切るのは長崎総合科学大の木永勝也助教授。「学芸員を置いたとしても、下支えする地元の研究者や被爆者などの組織化が必要。研究組織の活動が市民に広く還元される仕組みが望ましい」

約三十年前から被爆写真の収集、調査を続ける長崎平和推進協会写真資料調査部会の深堀好敏部会長は、専門職がいない同資料館の調査研究を支える一人。「原爆で生き残った者として、真実を写真に託し、いつまでも伝えたいという使命感で続けてきた」と話す。だが「いつまでできるか分からない。引き継いでくれる人が少ないのが現実」。深堀さんは行く末を案じる。

三年前、核保有五カ国の戦略核の数や核軍縮に関する条約の変化が開館時のままだったことが判明した。このため、現代の核兵器を取り巻く国際情勢に、敏感に対応した展示を求める意見は根強い。過去、現在、未来をつなぐ学芸研究機能の充実は、大きな課題となっている。