長崎原爆資料館10年
 =歩みとこれから= 2

開館当時、戦争加害の展示をめぐり論議が起こった「日中戦争と太平洋戦争」コーナー=長崎原爆資料館

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長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 2 加害と被害 展示内容めぐり論争

2006/04/27 掲載

長崎原爆資料館10年
 =歩みとこれから= 2

開館当時、戦争加害の展示をめぐり論議が起こった「日中戦争と太平洋戦争」コーナー=長崎原爆資料館

加害と被害 展示内容めぐり論争

「あまりにもむごすぎる」―。今月中旬、アン・マグレッタさん(65)=ノルウェー・オスロ=は目を真っ赤にして、長崎原爆資料館(長崎市平野町)のロビーに立っていた。

「この資料館を見るために長崎に来た。(原爆を投下した)米国人も一度見てほしい」。約一時間半、館内を見学した後、あふれる涙を抑えられずにいた。

同じ日に訪れた中国生まれでタイで育った王寶雲さん(20)。「ひどい。でもいきなり(原爆投下の)八月九日からの展示。被害ばかりでは…」。言葉を選びながら、学校で学んだ旧日本軍のアジア侵略を説明した。

被爆地の公共施設がどこまで日本の戦争加害に踏み込めるか―。一九九六年四月の開館前から、常設コーナーの一つ「日中戦争と太平洋戦争」の内容をめぐり、論争が巻き起こった。だが、旧日本軍の加害行為を指摘する展示資料の変更や、真偽不明確だった展示ビデオの映像など市側の失態がクローズアップされ、論争は立ち消えになった。

「せっかくいい論議をしていたのに(市が)犯してはいけないミスを犯してしまい、あのコーナーの意義自体を薄めてしまった」。当時、外国人被爆者コーナー設置を求めていた県被爆二世教職員の会の平野伸人会長(59)は悔やむ。「原爆投下前の(旧日本軍による加害の)歴史の認識は、世界の人と共通して核兵器廃絶の立場に立つために必要。被害の強調にとどまらず、自由な論議に応えられる展示という点ではまだまだ足りない」

一方、市民団体「長崎の原爆展示をただす市民の会」は開館後、「米国の原爆投下を正当化させるような展示は不要。加害展示をしても、核兵器廃絶につながる根拠にならない」として、出典が明らかでない資料の修正を要求。同資料館は映像(百七十六カ所)や字幕(三十九カ所)などを差し替えた。

市は、開館時のこうした混乱を受け、九六年六月に長崎原爆資料館運営協議会を設置。被爆者団体代表や学識者、市民らで構成し、資料館運営の在り方や展示に関する意見を定期的に聞いている。

同資料館は本年度、常設展示室内の放射線被害と現代の核情勢について“小幅”見直しを計画している。一部に、問題になった戦争加害に関する展示見直しを求める意見もある一方で、被爆者問題を研究する高橋眞司長崎大教授は大幅な見直しに警鐘を鳴らす。「(同じ被爆地である)広島の資料館より一歩踏み込み、歴史的な文脈で原爆をとらえている」(同教授)からだ。

加害と被害―。太平洋戦争という歴史の中で、原爆投下をめぐる意見は今でも分かれている。「世界の人に核兵器をなくさないといけないと思わせる資料館になり得ているか」(同)。その問い掛けは続いている。