存在意義 「ここに事実がある」
核兵器廃絶を訴える被爆地長崎のシンボル的な施設「長崎原爆資料館」(長崎市平野町)が、開館から十年を迎えた。旧長崎国際文化会館時代と合わせ半世紀の間、原爆の実相を資料や写真、証言を通して伝えてきた。被爆者の高齢化による体験風化が危惧(きぐ)される中、同資料館の歩みを振り返り、今後、求められる役割を考える。
「ここには原爆の事実があります」―。千羽鶴が、天井から差し込む柔らかな日差しに包まれる長崎原爆資料館の玄関。修学旅行シーズンが始まった二十一日、長崎で被爆した末永浩さん(70)は二時間半の被爆遺構案内を終え、香川県綾川町立綾上中三年の二十三人にこう語り掛けた。
「むごい写真もあります。でも、しっかり見てください」。生徒たちは末永さんと握手を交わした後、地下の常設展示室に続くらせん通路に向かった。
同資料館は一九九六年四月、旧長崎国際文化会館(五五年開館)の老朽化などに伴い、隣接地に建設された。地下二階地上二階(延べ床面積約七千九百五十平方メートル)。常設展示室は「一九四五年八月九日」「原爆による被害の実相」「核兵器のない世界を目指して」で構成。ホールや平和学習室、図書室も備える。広さ、資料数とも旧館の二倍に充実した。
見学後、再びロビーに姿を見せた綾上中の表美智子さん(14)は「ケロイドの写真など直視できなかった。でも(しっかり見てほしいという)末永さんの言葉を思い出した。集団自殺や少年事件など命を軽んじる事件があるけど、命の大切さを実感した」と感想を語った。
同資料館は、長崎に来る修学旅行生の多くが必ず訪れる場所の一つ。しかし、総入館者数は長崎市全体の観光客減のあおりで、初年度の約百十三万五千四百人を最高に年ごとに減少。二〇〇四年度は約六十八万七千八百人で、初年度の約六割まで落ち込んだ。
さらに、総入館者数の約四割を占める修学旅行生も、開館当初と比べ、中学、高校生の団体数はほぼ半減。今後も旅行先や目的の多様化、少子化の影響で見通しは厳しい。
「長崎に来たら、原爆資料館の見学や被爆者の話などの平和学習は欠かせない。今の子どもたちは戦争、原爆について知る機会が少ない。世界で戦火が絶えない時代だからこそ、長崎で何を感じ取るか関心がある」。綾上中の松井輝善校長(58)は同資料館を訪れる意味を語る。
被爆六十周年を迎えた〇五年度は、開館以来初めて前年度を上回る入館者が見込まれる。この流れをどう継続させるか―。四月に就任したばかりの中西賢一館長は、広島や沖縄の同種資料館の入館者数の分析を始めた。