未来へ 「人類愛」の哲学遺言に
「米ソ冷戦が終結してみんな喜んでいるけど、これからが大変だぞ」
一九九二年十月十四日の昼下がり、秋月辰一郎が医長を務める聖フランシスコ病院の待合室。四十年近く同病院の事務職員だった深堀好敏(76)は、秋月との最後の会話が耳に残っている。
その夜、秋月は持病のぜんせくの発作で倒れた。それから十三年と六日、原爆に遭い、けが人の治療に奔走した浦上の丘で眠り続けた。北朝鮮やイランの核開発疑惑、核の闇市場―。秋月が言い当てたかのように、国際社会は今、核兵器拡散の危機にひんしている。
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今年七月初め。被爆地長崎から反核平和のメッセージを国連に届ける「高校生平和大使」が秋月を見舞った時、秋月の妻すが子(87)はつぶやいた。「核兵器をめぐる今の状況では、(秋月は)じっとしておれないはず。きっと運動の先頭に立ったと思う」
今年で八回目となった高校生平和大使。秋月が提唱した「ながさき平和大集会」実行委を組織する市民団体が九八年、印パ核実験に危機感を抱き、国連本部に派遣したのが始まりだ。
「『平和運動を市民の手に』と唱えた先生の理念に合致した取り組み」。同集会実行委事務局長で、平和大使の世話役でもある平野伸人(58)は胸を張る。八五年から平和運動に身を投じた平野。家族ぐるみで親交のあった秋月に請われ、事務局長に就いた。平野は秋月が倒れた後も「先生が生きている間は絶対続けなければならない」と平和大使の活動を発展させ、核兵器廃絶「高校生一万人署名活動」が二〇〇一年にスタートした。
こうした動きに対し、被爆者団体や労働組合、市民団体、宗教団体などはこぞって支援を鮮明にし、高校生たちも招かれればどんな集会にも足を運ぶスタイルを貫いた。「大人が長年こだわってきた思想信条、主義主張の垣根を高校生たちはあっけなく飛び越えた」。今や長崎の平和運動の顔となった平野も、秋月の理念を具現化した高校生たちをたたえる。
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秋月をモデルにしたアニメ映画「アンゼラスの鐘」が今年九月に公開された。「核兵器による力の政治を推し進める国際社会に対し、訴える力を持ち得るのは秋月の哲学しかない」。映画制作を支援する会副会長の朝長万左男(62)=長崎大医学部教授=は、映画化の動機をこう語る。
秋月の遺言ともなったその哲学―。「(被爆者たちは)町を破壊し、人間を焼き尽くした核兵器を開発、使用した人間への不信を乗り越え再生した。人間の生存と安全を守るのは、人類愛しかない」(朝長)。
〇五年十月二十日朝、秋月は映画の完成を待っていたかのように静かに旅立った。朝長らは、大きな仕事を託された気がしている。(文中敬称略)