韓国の被爆者 やっと動き出した援護
「この近くに住んでいるのに、寝たきりで会場に来ることができない人がいるんですよ」
昨年十月、県と長崎市による健康相談が実施された韓国中部の平澤市。周囲に黄金色の田畑が広がる会場を訪れた郭貴勲さん(81)が、まゆをひそめて耳打ちした。
郭さんは二〇〇二年十二月、日本出国後の健康管理手当支給が認められた大阪高裁判決の原告。世界に約五千人いるとされる在外被爆者に援護の道を切り開いた立役者の一人。現在は韓国原爆被害者協会の会長を務める。
郭さんらの訴訟を通じ、日本政府が在外被爆者援護に重い腰を上げたのは、ほんの三年前のことだ。
平澤での健康相談も、在外被爆者支援事業の一つ。同事業は被爆者健康手帳交付時の渡航・滞在費の補助や日本での治療などがあり、〇四年末までの実績は約千件に上る。
その後も、出国後の手当支給(〇三年)、現地の医療費を補助する「在外被爆者保健医療助成事業」(〇四年度)―などの援護策が打ち出された。しかし、「来日要件」の壁に「最も援護が求められている人が取り残されている」(郭さん)最大の問題は解決されないままだ。
平澤の健康相談は、次々と訪れる被爆者の対応で本県の医師団らは手いっぱい。郭さんは寝たきりの被爆者の存在を言い出せなかった。「不十分な部分はあるが、やっと動き始めた日本政府の援護策に水を差したくない」。郭さんは苦渋の胸の内を吐露する。
三月末、日本海に浮かぶ竹島の領有権をめぐり、日韓関係はぎくしゃくした。六月の日韓首脳会談を前に、関係改善策として「在外公館を活用した手当申請」案が飛び出した。正式発表はないが、実現は近いように見える。
「日本の主権が及ぶ大使館が代わりに申請を受け付けるのはいい。しかし、その恩恵を受けられる人はもう少ない」。郭さんは、李康寧さん(78)とともに同種訴訟を争った〇三年以降、多くの被爆者が日本に渡り、被爆者健康手帳や手当を受け取ったことを明かした。
同協会によると、韓国内の被爆者は約二千三百人。そのうち、約千九百十人が手帳を取得し、約千八百六十人が健康管理手当などを受給。手帳を持ち、手当を受けられない人は五十人足らずだ。
深刻なのは手帳未取得者の問題。申請中か却下、または来日できない人たちが約四百人いる。被爆した状況を正確に覚えていなかったり、証人がいなかったり、そして、高齢や病気で日本に行けなかったり…。六月、手帳の代理申請を却下された韓国人被爆者が広島地裁に提訴した。
「問題は絞られた。だが、ハードルは高くなっている」。李さんは、二十六日に迫った崔(チェ)さん訴訟の福岡高裁判決に期待を掛けるが、それですべてが解決するとは思わない。