新しい形 行動の広がり世界に示す
九万人超の「高校生一万人署名」を国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)に提出した八月十八日夜、高校生平和大使たちは宿泊先の一室に集まった。被爆地以外の都道府県から初めて平和大使に選ばれた小檜山なつ子さん(18)=神奈川・フェリス女学院高三年=は、ある言葉が胸に響いていた。
「ロマンモレーさんが『私はあなた方の味方です』と言ってくれた。長崎、広島の思いを広げたいと願っている人が世界にいることを知った」。ロマンモレーさんとは、同本部軍縮局ジュネーブ部長だ。
小檜山さんは平和大使になった後、いろんな壁にぶつかった。学校内での署名は許されず、横浜市街での署名にも、市民の関心は低かった。被爆国という意識が伝わらないもどかしさを抱いた。だが、ロマンモレー部長の言葉で自信を取り戻した。「私たちの活動は一人ではない」と。
広島の西迫駿君(18)=三原東高三年=も「被爆者の語り部になりたい」と意を強くし、英国留学中の中村充さん(17)=西彼長与町出身=も「英国の人たちに長崎、広島の原爆のひどさを話したい」と話す。
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今回の旅には、平和大使の選考に漏れた神奈川、京都、福岡、宮崎の高校生六人も参加した。いずれも「使節団」として自費で加わった仲間だ。
平和大使五人と使節団六人。そして、高校生一万人署名活動実行委OGの大学生二人。一行二十二人のうち、半数以上の十三人が若者。これまでと大きく異なる構成は、二つの被爆地だけでなく日本各地の高校生が行動する姿を国内外にアピールする狙いもあった。
使節団の一人、勝又まどかさん(18)=神奈川・関東学院高三年=は七月までの一年間、インドネシアに留学。歴史の授業で原爆投下に対する意識の違いを知った。
「『原爆投下はインドネシアの独立のために必要』と、肯定的に教えられていてびっくりした」。一方で、原爆について何も知らない自分に気づいた。そんな時、平和大使の応募を知り、インドネシアの経験を中心に応募作文を書いた。
落選したが、どうしても長崎のことが知りたくて、長崎原爆の日に合わせて八月九日までの三日間、長崎を訪れ署名活動実行委のメンバーと街頭署名に走り回った。「長崎は高校生だけでなく、平和を願う人たちの気持ちがあふれていた」。長崎への旅、そして平和大使との旅をきっかけに、勝又さんの中に芽生えた思いがある。「アジアから見た原爆はやはり複雑。アジアから見た戦争を学んでみたい」
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欧州から帰国した八月二十六日、解散場所の福岡空港。高校生たちはメールアドレスを交換した。平和について一緒に考え続け、再会も誓って。