全国から、世界へ 言葉や意識の違い超え
署名数が伸び悩んだ冬から初夏までの苦しい時期は、「高校生一万人署名活動実行委」のメンバーたちにとって、”種まき”の時期でもあった。
愛知万博(愛・地球博)の開幕イベント参加、長崎を訪れた修学旅行生との交流会、沖縄の高校生との交流、長崎市や壱岐市などの中学生と合同署名活動―。署名の輪は市外へ、県外へと広がり、下の世代の中学生たちにも伝わった。
愛知万博で三十四都道府県の高校生に署名の協力を訴えた佐々野桜さん(16)=長崎明誠高二年=は「一万人署名を各地の高校生に話すと、関心を示してくれた人がいてうれしかった」と語る。そんな小さな出会いが原動力となり、八月の長崎に数多くの署名が全国から寄せられてきた。
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韓国、フィリピン、ニュージーランド、米国…。実行委は国外にも目を向け、活動の場をどんどん広げている。言葉はもちろん、核兵器に対する意識や国の政策も異なるが、面と向かった交流はすぐに、さまざまな距離を縮めてしまう。
七月初め、実行委の松尾美咲さん(18)=長崎女子高三年=は単身、ブラジル・サンパウロ市に向かった。在ブラジル被爆者協会(森田隆会長)に招かれ、日系人の祭り会場で署名を呼び掛けるためだ。
「署名しようと並んでくれたんです。ものすごい熱気と平和への思いを感じました」。帰国後、松尾さんは声を弾ませ、現地の様子を語った。三日間の祭り期間中だけで八千五百人分。かつてない数字だった。
「米国は国連の言うことなんて聞かないじゃないか。そんなところへ署名を持っていっても、核兵器廃絶はできないよ」。松尾さんは現地の中年男性から、こんな言葉を投げ掛けられた。でも、ひるまなかった。「国連に毎年続けて署名を届ける意味はある。何もしなくなったら終わり」
長崎でも同じような場面に出くわしたことがある。以前は立ち尽くすだけだったが、ブラジルでは自分の考えを思い浮かべることができた。
「被爆者を二度とつくってほしくない、という願いが国境を超えて広がっている」。森田会長も期待を寄せる。「平和を願う長崎と地球の反対側のブラジルの若い人たちが手をつなげば、地球をぐるりと結ぶことができる」と。
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松尾さんから署名活動を引き継いだサンパウロ市の大学生は、八月初めから現地で開いている原爆写真展で三千人もの署名を集めた。その署名は九月末、森田会長の長女が松尾さんの元に届けることになっている。