未来を託して
 =高校生一万人署名の軌跡= 2

秋月さんを見舞い、出発を報告する高校生平和大使の4人=7月10日、長崎市の聖フランシスコ病院

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未来を託して =高校生一万人署名の軌跡= 2 握り返した手 秋月さんの気持ち確信

2005/09/15 掲載

未来を託して
 =高校生一万人署名の軌跡= 2

秋月さんを見舞い、出発を報告する高校生平和大使の4人=7月10日、長崎市の聖フランシスコ病院

握り返した手 秋月さんの気持ち確信

梅雨が終わりに近づき、赤紫のアジサイの花が激しい雨に打たれた七月初めのある日。今年の「高校生平和大使」の四人が、爆心地を望む小高い丘にある病院の一室にいた。

その部屋には、被爆者救護に尽くした医師で、長崎の平和運動のリーダーだった秋月辰一郎さん(88)がいた。ぜんそくの発作で倒れ、今年で十三年。自ら言葉を発することはない。

秋月さんは一九八九年、思想信条や党派を超えた平和運動を呼び掛け、「ながさき平和大集会」を提唱した一人。インド、パキスタンが相次ぎ核実験を強行した九八年、この集会を支える被爆者や被爆二世らの手で、二人の平和大使が国連本部(米・ニューヨーク)へ初めて派遣された。

被爆者の思いを受け継ぎ、次の世代の平和活動を担う人材を育てる狙い。毎年、平和大使に決まったら、秋月さんを見舞うのが恒例だ。

「秋月さんがいなかったら、私たちは大使になれませんでした」。平和大使の一人、平湯あゆみさん(17)=活水高三年=は秋月さんと初めて会い、あふれる涙を抑えきれなかった。

病室を訪れる前、平湯さんたちは長崎原爆資料館で、倒れる前の秋月さんの証言ビデオを見た。被爆直後の救護活動や核兵器廃絶運動を堂々と説く秋月さんの姿に感動した。

中村充さん(16)=英国の高校留学中、西彼長与町出身=、小檜山なつ子さん(18)=神奈川・フェリス女学院高三年=、西迫駿君(18)=広島・三原東高三年=の三人も、目を見開いたままの秋月さんを前に、言葉を探していた。

「被爆者の老いを初めて目の当たりにして、たまらない思いになった」。平湯さんは涙の理由をそう語る。被爆者の平均年齢は七十三歳を超えた。「被爆者の代わりに、その思いを次の世代に伝えなければ…」。この日を境に平湯さんの決意はさらに強まった。

「秋月さんの手を握ってもいいですか」。中村さんが突然、手を差し伸べた。「あっ。握り返してくれた。温かくて力強い」。中村さんは笑顔の目を真っ赤にした。

八回目の派遣となる今年の平和大使は被爆六十年を機に、長崎だけでなく広島と神奈川から各一人を選んだ。「高校生一万人署名活動実行委」が二〇〇一年に誕生した後、寄せられた署名を国連欧州本部に届けるのが役目だ。

「頑張って。次は任せたよ」。中村さんは力強く握り返した秋月さんの手に、そんな気持ちが込められていたと確信した。秋月さんが願った平和活動、その思いを若者が確かに受け継いでいる。