被爆作家(長崎市出身) 林 京子さん(74) 「核と人間」問い続ける
―被爆を語る難しさをどう実感しているか。
先日、小学生を対象に話した時、「八月九日」を話す前に学徒動員などその時代に使われた言葉や時代背景の説明からしなければならず、ギャップを感じた。ただ、講演や著書に対する感想文を読むと、若い人たちは視野が広く、すごい感性を持っていると思う。
―被爆の後遺症は。
同世代の人と比べ持久力がないものの、症状的なものは出ていない。しかし、多くの被爆者は放射性物質を吸っており、長い年月をかけて微力だが放射線を出し続けており、肉体を破壊している。八月六、九日の悲惨さだけでは終わらない怖さを認識してほしい。
―原爆に対する日米の感情の溝の深さについて。
米国のポトマック河を遊覧中、私を被爆者と知った米国女性から「あなたは被爆者か? しかし、ここはアメリカ」と言われ、思わず息をのんだ。彼女がどういう意味で言ったのかは分からないが、その言葉に何となく溝の深さを感じた。
―世界初の核実験場、米国「トリニティ・サイト」で感じた人間のふそんさを、前作「トリニティからトリニティへ」でつづっているが、その中の「被爆者の先輩が母なる大地であった」という感慨に込められた思いは。
草も生えていない荒野の中に「グラウンド・ゼロ(爆心地)」へ向かって細い道が延び、物音も何もなく、真っ青な空に鳥もいなければ、風もそよがない。体中に震えがきた。一瞬にしてすべての生物を死に追いやり、生命を生み出す大地までが沈黙を続けていた。ここからよみがえる生物があるのか―。人間以前の被爆者がここにいて、大地の沈黙に人間の高慢さを感じ、打ちのめされた。
―被爆六十年の年に全集が刊行された意義は。
初めは単純に考えていたが、自分の歴史、被爆者の歴史でもあり、意味の重さを感じるとともに、作家生活、特に被爆者として生きてきた六十年の現実が見渡せた。そして、見渡せたことで、長崎を故郷(ふるさと)と思えるようにもなった。
―地元長崎でも、原爆を体験していない世代の青来有一さんらが原爆を題材に頑張っている。そんな郷土の若い作家たちへのメッセージを。
原爆を書くに当たっては体験の有無ではなく、現実をきちんと認識、深く把握しておく姿勢が大事。核と人間の問題は未来につながっていく問題であり、書き継いでいってほしい。核時代を生きていくヒトのために。