劇作家(松浦市出身) 岡部耕大さん(60) 永井博士の劇化を決意
―終戦の年に生まれ、今春、還暦を迎えた。戦後と人生が重なる。
県北の漁師町に生まれ、山を一つ越すと佐世保。子どものころ、母親と佐世保に行くと、闇市があった。駅の裏側で、戦災孤児がぼろぼろの着物で群れていた。孤児たちが僕を見た目がいまだに忘れられない。一方では、日本人女性が米兵と腕を組んで歩いている。子ども心に戦争だけは嫌だと染み付いた。
少年のころ雑誌などを読み、二十一世紀には人間の差別がなくなって、素晴らしい世界が来るような気がしていた。新世紀になって、また戦争の世紀なのかと思い、本当に悔しい。
―被爆六十年を機に、故永井隆博士を描いた劇作に取り組むと聞く。
小学生のころ、「長崎の鐘」という歌がはやり、歌の持っている世界を興味深く思っていた。だが、僕自身は戦争や原爆を前面に押し出して書くより、作品の奥に反戦が潜んでいればいいと思っていた。だから、永井博士も一生書くことはないと思っていた。
その永井博士を書こうと思ったのは「9・11」のテロの後。戦争による憎しみの連鎖は予想もつかない。いらついた。もう永井博士を書かないといけないのか、と。ほかの人も永井博士を書いているが、今は自分で書かないと気が済まない。
―どんな内容を構想しているのか。
永井博士の著「長崎の鐘」では、原爆で鐘が塔から落ちて、がれきの中に埋もれたが、割れなかった。永井博士が生き残った仲間と励まし合いながら鐘を掘り出し、つるし上げて、それがクリスマスの時に鳴る。非常にいいなと思った。
そんな博士の姿を、少しユーモアを交え、人間くさく書いていきたい。ユーモアを交えることで平和の尊さが浮かび上がればと思っている。
―上演の見通しは。
これから取材で長崎に何回か帰ることになるだろうが、既に劇場と主演俳優も固まっている。年内にはキャストを公表できると思う。
―「8・9」に向け、県民にメッセージを。
古里を離れて長いが、毎年八月九日は僕なりに気持ちを引き締め、戦争の恐ろしさに思いを致す。テロによる憎しみの連鎖はますます激しい。人の憎しみがこんなになっていくとは思わなかった。僕はただ、あきらめずに書いて、演劇で反戦平和を訴えるしかない。
もういいよ、と言われても、生きている間は書き続けたい。
ハナ「ああ、平和はよか。」
聖子「なんて。」
ハナ「平和はよか。平和は人の本性ば隠して生きることのでくる。平和はよか。」
聖子「また、穿(うが)ったことば。」
(岡部耕大作「花祭」より)