決意の夏
 =ナガサキ再構築へ= 4

米国での証言活動などについて話す吉田勝二さん=長崎市内

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決意の夏 =ナガサキ再構築へ= 4 海外原爆展 重い腰を上げた国

2005/07/28 掲載

決意の夏
 =ナガサキ再構築へ= 4

米国での証言活動などについて話す吉田勝二さん=長崎市内

海外原爆展 重い腰を上げた国

「核大国、核大国って言うけど、話せばきちんと分かってくれる。行ってよかったよ」。長崎平和推進協会継承部会員で被爆者の吉田勝二(73)は、初めて訪れた米国の印象をこう振り返る。

吉田は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が五月からシカゴで開いている原爆展の開幕に合わせて現地入り。会場や大学の教室、地元のラジオ局で被爆体験を証言、平和への思いを語った。

十三歳の時、爆心地から約八百五十メートルの路上で原爆に遭い、顔に重いやけどを負った。約一年後に撮られた治療中の写真は、原爆の悲惨な被害を伝える一枚として知られている。「(レオナルド)ディカプリオみたいなハンサムだった。今だって、いい男だけどね」―。来場者を案内しながら、こう告げた。「でも、原爆を落としたあなたたちの国を憎んではいないよ。憎いのは戦争だ」

国の機関による海外原爆展は初めてだった。

広島、長崎両市は、海外に被爆の実相を広げるため「ヒロシマ・ナガサキ・アピール委員会」を一九七七年に設立。この十年間に限っても、米国、英国など十一カ国の二十七都市で原爆展を重ねてきた。だが、開催地は両市の思いとは無関係に受け入れ側の申し出で決まるケースが多い。被爆資料の輸送には、高価な美術品並みの用心が必要で、多額の費用も掛かる。

「被爆の実相を海外に伝える役割は、自治体だけでは背負いきれない。だから一生懸命やりながら『本来は国の責務なのだ』と主張してきた。一緒にやろう、という姿勢だけでも見せてくれれば、と」。長崎市平和推進室長の中村明俊は言う。その国が、ようやく一歩を踏み出したのだ。

同祈念館副館長で長崎平和推進協会事務局次長の永田博光(長崎市から出向)は「被爆六十年を記念して―の一過性の取り組みでは意味がない。『六十年をきっかけに』でなくては」と力説する。館を所管する厚生労働省と外務省の連携など課題は少なくない。それでも「海外原爆展開催経費」は、来年度の概算要求にも盛り込まれた。

「アメリカで二キロやせたよ。でも辛抱せんば。あと何年かやけんね」。吉田は言う。国際世論の喚起にどう動くか、重い腰を上げた国の次の一歩に、吉田ら被爆者の視線が注がれる。(文中敬称略)