伝える形 若い世代が切り開く
「伝えられない思いを代わりに伝えてくれて、ありがとうね」
被爆者の松尾幸子さん(71)=長崎市本原町=は四月一日、自身の被爆体験記の英訳を完成させた活水高平和学習部の生徒たちへのお礼の言葉を、こう切り出した。
うれしい申し出
「私が外国の人に被爆体験を伝えようと思っても、英語は無理。未来を生きる皆さんが、新しい継承の形をつくり出してくれて、心からうれしい」
修学旅行生に被爆体験を語り、被爆遺構を案内しながら時折、ため息をつくことがある。熱心にメモを取る生徒の隣で居眠りが始まる。厚底ブーツで遺構めぐりに現れた女子高生には目を丸くした。「だから、活水生の頑張りはうれしい。私も体が続く限り、頑張ります」
活水高と佐世保市の福石中の英訳が完成した四月初め、被爆者で元高校英語教諭の広瀬方人さん(75)=長崎市若草町=から長崎新聞社にうれしい申し出があった。
「英訳された被爆ノートを米国に持っていきたい」
広瀬さんは五月初め、原爆や平和に関する資料を所蔵している米オハイオ州デイトンのウィルミントン大ピースリソースセンターを訪問することになっていた。
三十年前、同センターに日本語の被爆証言集「長崎の証言」などを寄贈したが、活用されていないと聞き今回、英文の証言集など五十五冊を贈る準備をしていた。
本社は、二校が完成させた英文体験記二編を、広瀬さんが加わる非政府組織(NGO)「核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委」に託した。横瀬透取締役編集局長は「原爆を知らない若い世代が被爆体験を見詰め、自分たちの英語で形にしたことを伝えてほしい」と申し添えた。
見つけたヒント
五月四日、広瀬さんら実行委は同センターを訪れ、ジム・ボーランド館長に目録を手渡した。同館長は、感謝の言葉に続けて「日本語の証言集は司書が分類できない。新しい英文の体験記が完成したら、また送ってほしい」と述べたという。
「被爆体験を海外で伝えたいなら、英語にしなければならない」―。外国を訪れるたびに被爆者の声が伝わっていないことを痛感する広瀬さんだが、今は伝えるヒントを見つけた。
「退職した教諭仲間や国際交流に関心がある知人に、被爆体験記の英訳をやる意思はないか尋ねてみたい」