遠い存在 原爆知るきっかけに
「英訳プロジェクトに参加を希望します」
被爆六十年が明けたばかりのある日、長崎新聞社に一通の電子メールが届いた。長崎市の北約七十キロ、佐世保市立福石中の小宮昭子教諭(英語担当)からだった。
取り組ませたい
「被爆体験に触れる機会が少ない生徒たちに、ぜひ取り組ませたい」。本紙一月一日付の「英訳プロジェクト」スタートの記事を読んだ小宮教諭は、そう思い立つとすぐにパソコンに向かった。昨年十二月から始めた長崎市の活水高「平和学習部」に続く二番目の応募だった。
「基地の街・サセボ」。年に数回、被爆者の体験講話を聞くことができる長崎市の小、中学校と違い、原爆に触れる機会に恵まれない。地理的に被爆資料や写真が並ぶ長崎原爆資料館を訪れることも少ない。
「佐世保空襲の体験者を学校に招くことはあったが、被爆者は八月九日くらい。同じ県でありながら、原爆は遠い存在かもしれない」。小宮教諭は率直に話す。
佐世保市立福石中の英語クラブと小宮教諭
「被爆県に生きる子どもたちが、このプロジェクトを通して、その自覚をいつか持ってくれたら。生徒たちと一緒に原爆がもたらした被害や被爆者が抱えてきた六十年の思いを知るきっかけにしたい」
距離は予想以上
三学期に入り、受験を控えた三年生中心の英語クラブ十二人が、英訳作業をスタートさせた。三年生が卒業するまでに完成させようと、週一回放課後の教室に集まり、辞書と格闘した。
「授業で使うドリルと違って文章が長く、どこで区切ったらいいのか迷った。原爆のイメージがなかなかわかず、文章を理解するのは難しかった」。当時三年で部長だった本多瑛莉さん(現高校一年)が語るように、生徒たちと原爆の距離は予想以上に大きかった。
活水高と福石中が取り組んだ体験記二編は四月初めに完成し、本社ホームページで世界に発信した。その後、諫早、長崎両市、西彼長与、時津、南高西有家各町にある公私立七つの高校が仲間入り。福石中では二編目の翻訳作業が進む。
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被爆六十年を機に、長崎新聞社がスタートさせた「忘られぬあの日 被爆ノート」英訳プロジェクト。被爆者の体験記を中学、高校生が英訳し、インターネットで世界に発信する事業だ。参加校の応募動機や完成までの過程を追い、今を生きる子どもたちや教師が英語を通して、被爆体験の継承に挑む姿をリポートする。