外国人戦争犠牲者追悼 核廃絶人類不戦 (長崎市平野町、1981年12月8日建立) ◆ 強制連行などの事実語る
爆心地公園(長崎市松山町)から川を隔てた木立の下に立つ、赤れんがで縁取られたアーチ形の碑。太平洋戦争が始まった十二月八日と終結した八月十五日に毎年、不戦の集いが開かれている。
「外国人戦争犠牲者追悼 核廃絶人類不戦」(高さ約三メートル、幅約一・五メートル、奥行き約二メートル)―。多くの外国人が原爆や戦争の犠牲になった事実を知ってもらおうと、太平洋戦争開戦から四十年目の一九八一年十二月八日に市民の募金で建てられた。
強制連行され被爆死した朝鮮人、福岡俘虜(ふりょ)収容所第十四分所(同市幸町)で犠牲になった連合国軍の捕虜、アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)で死亡したコルベ神父。再び多くの犠牲者を出す悲惨な戦争が起こらないようにとの願いが込められている。
銘板の下には、崩壊炎上する浦上天主堂と外国人犠牲者、平和の象徴の白いハトが描かれている。
碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。