原爆を歩く
 =碑巡り案内= 8

浦上刑務支所の犠牲者を悼む「平和祈念像」=長崎市白鳥町、長崎拘置支所

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原爆を歩く =碑巡り案内= 8 長崎拘置支所の「平和祈念像」 (長崎市白鳥町、1959年6月建立) ◆ 受刑者や職員らを悼む

2005/07/14 掲載

原爆を歩く
 =碑巡り案内= 8

浦上刑務支所の犠牲者を悼む「平和祈念像」=長崎市白鳥町、長崎拘置支所

長崎拘置支所の「平和祈念像」 (長崎市白鳥町、1959年6月建立) ◆ 受刑者や職員らを悼む

「右手は原爆を示し、左手は平和を祈る」―。被爆地長崎の象徴として、多くの観光客が目にする平和公園(長崎市松山町)の平和祈念像。だが、同市白鳥町の長崎拘置支所に、高さ三十センチ足らずの平和祈念像がひっそりたたずみ、原爆犠牲者を悼み続けていることはあまり知られていない。

長崎原爆当時、現在の平和公園にあった「長崎刑務所浦上刑務支所」。爆心のほぼ直下で、中国人や朝鮮人を含む受刑者や職員、その家族ら計百三十四人が、猛烈な熱線と爆風の直撃を受け命を落とした。

同支所は六年後、白鳥町に再建された。当時の大内宏刑務所長が東京都が所有していた平和祈念像のひな型を譲り受け、五九年六月に建立。長崎拘置支所と名を変えた現在も、犠牲者を追悼する慰霊祭が毎年八月九日、職員やその家族、退職した職員らの手で営まれている。

同拘置支所の田所学副看守長(51)は「先輩職員や当時の収容者の命が一瞬で奪われた。われわれ職員は、永遠に平和を祈り続ける。祈念像はそのシンボルだ」と話す。