第十一医療隊救護所跡 (長崎市川平町、1992年12月建立) ◆ 故永井博士の活動拠点
長崎市立川平小の近く。小道に入り、緑で囲まれた山道を抜けるとすぐに「第十一医療隊救護所跡」の記念碑が見える。
被爆後三日間、長崎医科大付属医院で救護活動に当たっていた故永井隆博士率いる長崎医科大第十一医療隊(物理的療法科)の十二人は、博士の息子と娘が疎開していた木場郷藤ノ尾(現川平町)の木造住宅まで向かった。その住宅を拠点に五十八日間、訪問診療を続けた。
十分な医療品もない中での活動。「長崎医大原子爆弾救護報告書」によると、医療隊は七十九人のけがを治し、十人の症状を快方に向かわせた。一方で二十九人は亡くなった。
記念碑は、特定非営利活動法人(NPO法人)長崎如己の会が博士らの活動を後世に残そうと設置。碑には、博士の書の言葉「平和を」と「如己愛人」の文字が刻まれている。
近くの住民が木を切ったり清掃し、毎年十月中旬には同会が碑の前で慰霊祭を行っている。同会会長で医科大OBの濱里欣一郎さん(81)は語る。「自ら被爆しながらも原爆で傷ついた人を懸命に助ける活動をした人がいた証しの場所にしたい」