原子爆弾殉難死者之霊 (長崎市川口町、1946年8月9日建立) ◆ 身元不明の犠牲者悼む
路面電車が行き交う長崎市川口町の線路そば。高架橋に隠れるように、石碑がひっそりと立っている。「原子爆弾殉難死者之霊」と刻まれた慰霊碑(高さ約二メートル)だ。
「焼け落ちた家屋や瓦礫(がれき)の下から遺体の収集、発掘が続けられ、身元不明のものは臨時町内会事務所に集められて四斗樽(だる)に収納されていた。その樽が八個分ともなったころに、二十数世帯がきょ金して、町内の一隅に自然石をあしらった供養塔を建立した」(長崎原爆戦災誌第二巻)
同戦災誌によると、当時の浜口町(現在の浜口町、平野町などの一部)の住民は三千五百―四千人と推定。焼け野原から見つかった遺体の中には身元不明のものもあった。
自治会の有志らが、こうした無縁仏を慰霊しようと碑を建立したのは、原爆投下からちょうど一年後。県内の原爆慰霊碑の中で四番目に古いという(長崎平和推進協会調べ)。
現在、浜口町自治会の婦人部が月一回程度、碑の清掃に汗を流す。自治会長の桑原岩男さん(75)は「縁があり、み霊を祭ってきた。安らかな眠りを願い、次代に引き継ぎたい」と話す。