原爆を歩く
 =碑巡り案内= 3

慈悲の聖母 原爆で亡くなった生徒らの遺骨を納めた「慈悲の聖母」=長崎市文教町、純心女子高

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原爆を歩く =碑巡り案内= 3 慈悲の聖母 (長崎市文教町、1949年5月30日建立) ◆ 女学生慰めるマリア像

2005/07/07 掲載

原爆を歩く
 =碑巡り案内= 3

慈悲の聖母 原爆で亡くなった生徒らの遺骨を納めた「慈悲の聖母」=長崎市文教町、純心女子高

慈悲の聖母 (長崎市文教町、1949年5月30日建立) ◆ 女学生慰めるマリア像

緑の木立に囲まれた純心女子高(長崎市文教町)の正門を通り抜けると、純白のマリア像が頂上にそびえる慰霊塔が見えてくる。

「慈悲の聖母」―。学徒動員先の工場で原爆に遭った同校の前身、純心高等女学校の生徒、職員二百十四人の遺骨や遺髪、遺品が納められている校墓だ。

原爆投下から四年後の一九四九年五月三十日、米国のカトリック信者の募金で建てられた。痛みをこらえ、聖母マリアに歌をささげながら亡くなった教え子たち。その子らを悼んだ同校の江角ヤス校長(一九八〇年死去)の思いが通じた。

「燔祭の炎の中に うたいつゝ 白百合少女 燃えにけるかも」

聖母の足元には、自ら被爆しながら被爆者の治療に尽くした故永井隆博士が、死にゆく少女たちの姿を詠んだ一首が刻まれている。

同校の佐藤洋子校長(62)は「学校を愛し、人のために精いっぱい尽くしてきた生徒たちの姿を忘れない」と話す。毎年八月九日朝、生徒たちは塔の前で永井博士の「燔祭のうた」を歌い、亡き先輩たちに平和への祈りをささげる。