未来を生きる子ら (長崎市平野町、1996年4月建立) ◆ 娘失った母の悲しみ
長崎原爆資料館(長崎市平野町)の屋上庭園。太陽の光を浴びながら、二人の少女が振り袖のたもとを大きく膨らませている。
「未来を生きる子ら」(高さ二・四メートル、ブロンズ製)。「振り袖の少女像」として親しまれている像には、原爆で幼い娘の命を奪われた母親の深い悲しみが秘められている。
福留志なさんの娘の美奈子さんは一九四五年八月十八日、大島史子さん(当時十二歳)の亡きがらとともに、生きているうちに着ることがなかった美しい振り袖に包まれて火葬された。十歳の誕生日だった。
志なさんは戦後、京都に移り住み、「いつか長崎に娘の地蔵をつくりたい」と願い続けた。その思いを知った京都府立綾部中の生徒たちの募金の呼び掛けが全国に広がり、二人の少女像が九六年春、完成した。
像の制作者、余江勝彦さん(64)=京都府舞鶴市=は毎年八月、長崎を訪れる。「像に秘められた悲しみを知り、自分に何ができるか考えてほしい」。被爆六十年の今年、長崎の高校生たちに語り掛けるつもりだ。