平和の石碑
 =ストーン・ウオーク同行記= 3

石碑の「R」の文字に触れ平和への思いを新たにするルブランさん=大村市内

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平和の石碑 =ストーン・ウオーク同行記= 3 決 意 アンドレア・ルブランさん 米同時テロ被害者遺族 ◆ 「R」の文字に願い込め

2005/07/09 掲載

平和の石碑
 =ストーン・ウオーク同行記= 3

石碑の「R」の文字に触れ平和への思いを新たにするルブランさん=大村市内

決 意 アンドレア・ルブランさん 米同時テロ被害者遺族 ◆ 「R」の文字に願い込め

「わたしは母であり、祖母でもある。子や孫のために平和な世界を築く責任があると思う」―。三日夜。大村市陰平町の佛舎利塔本堂であった、ストーン・ウオークのメンバーと市民の交流会。アンドレア・ルブランさん(61)=米ニューハンプシャー州=は、かみしめるように語り始めた。

ルブランさんは、米中枢同時テロの被害者遺族でつくる「ピースフル・トゥモローズ」の代表。9・11のテロで夫ロバートさん=当時(70)=を失った。世界貿易センタービルに突っ込んだ航空機に乗っていた。大学で文化地理学を教え「世界の多様性」を愛していた夫が、皮肉にも「異文化の衝突」のテロに巻き込まれ、死んだ。

テロ後、家族は悲嘆に暮れ、「心に穴があいたような」生活が続いた。だが昨年八月、米国で開催されたストーン・ウオークに初めて参加し、平和への思いがわき上がった。「テロ後の報復、暴力は、不信、憎悪、新たなテロの可能性を生み出すものでしかない」

その時のウオークで、一緒に石碑を押した日本人に「戦後六十年の節目に日本でやりましょう」と言われた。日本の被爆者はテロ後すぐニューヨークに駆け付け、「連帯」の手を差し伸べてくれた。不安はあったが、一月に下見で長崎、広島を訪れ、「やろう」と心に決めた。

悲しみのふちにありながら、交流会で「戦争で平和は得られない」「米国が原爆を落としたことを謝罪したい」と語ったルブランさん。参加者は「心も平和運動も一つにならなければならないと思った」と大きな拍手を送った。

ルブランさんはこう考える。「石」は簡単には動かない。坂道もあるし体はきつい。ゆっくりと大勢でなければ駄目だ。しかし、平和運動と同じように多くの人でなら必ずやり遂げられる―。

毎朝、出発前に石碑の「R」の文字に触れるのが日課だ。亡き夫ロバートさんの「R」。忌まわしい「WAR(戦争)」の一文字だが、「最後にRがあるから『戦争の終わり』だと考えるようにしているの」とルブランさんは少し笑った。

きっとけさも、ルブランさんは「R」に触れ、出発したはずだ。愛する夫の面影、孫たちの姿を思い浮かべながら、戦争の終わりを、世界の平和を信じて―。