出 発 近藤伊織さん 大学生◆ 多くの力でやり遂げる
米中枢同時テロ犠牲者の遺族らが、原爆や戦争の犠牲者を悼む石碑を荷車に載せ、長崎市から一カ月間かけて広島市に運ぶ「ストーン・ウオーク」が二日、スタートした。平和への願いを共有しようと、長崎実行委(前川智子代表)の大学生や被爆者らが支援に奔走、応援の輪は県民に広がった。県内行程の四日間に同行し、関係者の姿を追った。
どんよりとした梅雨空に覆われた二日の長崎市。「戦争で犠牲となった名もなき市民」と英文で刻まれた大きな石碑を囲み、爆心地公園(松山町)を出発した約百人の行列が通行量の多い国道をゆっくり進む。その中に、荷車の前後をせわしく行き来しながら真剣な表情で車の交通整理に当たる若者の姿があった。
長崎総合科学大一年の近藤伊織さん(19)=同市高尾町=。大学で英語講師を務めている前川代表に誘われ、五月、実行委に参加した。
軽い気持ちだった。「『体を動かそうかな。短期間でちょうどいいし』と思って」。だが実行委の会合には、被爆者や平和運動の関係者が集まっていた。慌てた。「自分の存在がひどく場違いなように感じた」
爆心地、浦上地区で育った。平和学習は経験したが、熱心に取り組んだ覚えはない。「学習後の感想文をどう乗り切るか―とかばかり考えていた」。けれど最近、「もう大学生。何か考えないと」との思いが胸の奥にあった。
会合で話を聞き、「簡単な気持ちでは駄目だ」と思った。しかし―。「僕が人を集めます」。気が付いたら、こう声を上げていた。
六月、参加者集めに走り回った。友人を巻き込み、卒業した高校の教頭に掛け合って、十数人の後輩の参加を取り付けた。大学では講義中に時間をもらい、学生に協力を呼び掛けた。
初日の行程は、爆心地公園から市街を抜け、矢上町までの約十五キロ。一行の半数以上を大学生らの若者が占め、スタートにふさわしい明るくにぎやかな雰囲気が漂った。
近藤さんは日見峠からの下り坂で、友人らと一緒に引き手に加わった。神経を使う交通整理でくたくただったが、「平和運動は石を引くのと同じ。多くの力でやり遂げられる」―という、米の参加者の言葉を実感した。
「これが成果になるのかな」との思いもある。「でも、一歩は踏み出せたから」。照れくさそうに、少しだけ誇らしげな笑顔を見せた。