被爆60周年へ
 =ナガサキの課題= 1

世界平和アピール七人委員会のメンバーが講演したフォーラム。会場には空席が目立った=11月13日、長崎原爆資料館

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被爆60周年へ =ナガサキの課題= 1 平和運動 熱気の会場も空席多く

2004/11/24 掲載

被爆60周年へ
 =ナガサキの課題= 1

世界平和アピール七人委員会のメンバーが講演したフォーラム。会場には空席が目立った=11月13日、長崎原爆資料館

平和運動 熱気の会場も空席多く

「私たちは、もうすぐいなくなる」―。口癖のようにそう語る被爆者がいる。長崎は来年、一九四五年八月九日の原爆投下から六十周年を迎える。「長崎を最後の被爆地に」。核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う中心には、いつも「あの日」の原子野を生き抜いた被爆者たちがいた。だが、六十年の時を経ようとする今、その平均年齢は七十歳を超えた。被爆者の多くが「最後の節目」と話す六十周年を前に、被爆地・長崎の課題を考える。

「未来は過去の単なる延長でなく、新しい可能性が実現される場があるという信念を取り戻さなくてはならない」

ノーベル物理学賞受賞者、故湯川秀樹氏のやや難解な言葉を引きながら、理論物理学者の小沼通二氏が力説した。「私たちが経験したことのない事柄が、未来には起こり得る。核兵器廃絶の前途を絶望してはいけない」

今月十三日、長崎市平野町の長崎原爆資料館ホールで開かれた「地球市民フォーラム2004」。約百四十人の聴衆を前に、実行委員長を務める土山秀夫・元長崎大学長ら「世界平和アピール七人委員会」のメンバー四人が「反核平和への道」をテーマに語った。

ベストセラー著書「世界がもし100人の村だったら」を手掛けた翻訳家の池田香代子氏は、インターネットを通じて確かに息づく全国の平和運動を軟らかな語り口で被爆地に紹介した。講演後の質疑応答では、あちこちから盛んに手が上がった。

七人委は今春、土山氏や池田氏ら五人をメンバーに加え、活動を再興した。「多忙な皆さんに長崎まで足を運んでもらった背景には、核兵器廃絶を願う被爆地の熱気に直接触れてもらって、七人委の側を刺激するもくろみもあった。その狙いはある程度、達成できたと思う」。土山氏はフォーラムの意義をこう振り返った。

ただ、会場には空席が目立った。

「ホールの客席が約三百として、集まったのは半分に届くかどうか。もっと大勢の人に聞いてほしい話だった」。長崎平和推進協会継承部会の今田斐男さん(75)は、会場の一角でこんな思いを抱えていた。

フォーラム実行委には、長崎で活動するさまざまな平和運動団体の関係者が、日ごろの政治的な立場や主張を超えて「個人の資格」で参加している。政党や労組主導の”動員”とは無縁だ。

「だから、集まった人は、個人的な思いに突き動かされて会場に来た人ばかりだと思う。そのことを心強く思ってもいいのかもしれない。ただ、ここは、他の自治体を引っ張る旗振り役の被爆地なのだから、市民の関心がこの程度でいいとも思えない」(今田さん)

そのために何が必要で、何ができるのか―。すぐには答えの見つからない自問自答が続く。