非核の時代へ
 =伊藤市政の軌跡= 7

「被爆60周年に集大成と言える式典をやりたい」と語る伊藤市長=長崎市役所

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非核の時代へ =伊藤市政の軌跡= 7 市長インタビュー 心強い市民の”行動力”

2004/08/07 掲載

非核の時代へ
 =伊藤市政の軌跡= 7

「被爆60周年に集大成と言える式典をやりたい」と語る伊藤市長=長崎市役所

市長インタビュー 心強い市民の”行動力”

<被爆地の顔、長崎市長として迎える十回目の長崎原爆の日が二日後に迫った>

―就任からの歩みを振り返ってほしい。

最初の年が被爆五十周年の節目だった。自分は、戦争や原爆を知らない最初の世代だが、就任一年目の秋、国際司法裁判所(ICJ)で、被爆者の長い苦しみの日々を訴えることができたのは、大きな思い出の一つだ。今でもいい機会を与えてもらったと思う。被爆地域の拡大も実現にこぎ着けた。市民の皆さんの努力や国会議員の超党派の協力に感謝している。

―核兵器を取り巻く世界の状況は厳しい。

四月の核拡散防止条約(NPT)再検討準備委員会は非常に内容の乏しいものだった。危機感を覚える。これだけ皆で頑張って、なお国際的に厳しい状況が続いていることには、謙虚な反省と分析が必要だろう。

―長崎ではここ数年、市民レベルの平和運動が広がりを見せている。

「怒りの広島、祈りの長崎」という言葉があった。長崎はおとなしくて、受け身的で、積極性に乏しいと。しかし、近年は非政府組織(NGO)の地球市民集会、高校生平和大使や一万人署名活動など皆が立ち上がっている。もちろん「祈り」は原点だが、世代を超えたアクティブな発信は心強く思う。

―一方で、被爆者や市民との深刻な衝突、対立もあった。

中心碑問題にしても、旧新興善小の解体にしても、望んで起こしたトラブルではない。私見を言えば、旧新興善小の校舎は、残すに越したことはなかったと思う。しかし、関係者の意見を聞きながら、問題点の整理を進めてきた経過が底流にある。手順や手続きを飛び越えて、自分だけの思いで事柄を進めるわけにはいかない。

すべての市民から愛される―と言うと言い過ぎだが、そんな市長でありたい、とは思う。ただそれぞれの立場や思い、考え方、経験の違いもある。一概にそうはいかないだろう。

―来年の被爆六十周年に向かう決意を。

これまで取り組んできたことの集大成と言えるような式典ができないか、と考えている。被爆者や市民、若い世代はもちろん、平和に貢献してきた内外の方々に参加してもらえるような形で。

被爆者の平均年齢は七十歳を超えた。もちろん、ご無理の利くうちは今まで同様、いろんな助言をいただきたい。一方で、被爆者の思いや証言の体系的な整理、核問題の専門的知識を持つ人材の育成も被爆地の行政の重要な責務と思う。(聞き手は報道部・田崎智博)

いとう・いっちょう 1945年8月23日、母親の疎開先の山口県長門市で生まれる。早稲田大政治経済学部を卒業後、75年、長崎市議に初当選。市議2期、県議3期を経て95年、長崎市長に初当選し、現在3期目。