消えた“証人”
 =長崎の被爆遺構= 4

安全対策としてコンクリートで覆われた現在の山里国民学校防空壕跡=長崎市橋口町 保存整備工事前の防空壕跡

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消えた“証人” =長崎の被爆遺構= 4 禍根 防空壕の説得力台無し

2004/07/24 掲載

消えた“証人”
 =長崎の被爆遺構= 4

安全対策としてコンクリートで覆われた現在の山里国民学校防空壕跡=長崎市橋口町 保存整備工事前の防空壕跡

禍根 防空壕の説得力台無し

「わぁ、シェルターみたい」「防空壕(ごう)の中に電気がついていたの?」

爆心地から北に約七百メートル、うっそうと茂った巨木の下にある山里国民学校防空壕跡(長崎市橋口町)。市の被爆建造物の取扱基準では、被爆の痕跡を色濃く残すAランクに格付けされている。

遺構を訪ねる修学旅行生の案内役を務める被爆者の羽田麗子さん(68)=同市西山四丁目=は、この場所で子どもたちの歓声を聞くたび、やりきれない思いに駆られる。

「コンクリートできれいに固められているんだから、子どもがそう思っても仕方がない。保存整備の後、とにかく当時の状況が話しづらくなりました」

戦時中、山里国民学校には二十を超える防空壕があり、現存する三つの壕は原爆落下当時、教職員が掘削作業の最中だった。熱線や爆風で生徒や教師の多くが負傷、爆死したが、壕の中に飛び込んだ三人は無事だった。

土手をくり抜いた横穴が残されていた防空壕跡は、原爆の悲惨さを無言で示す説得力があったが、市が行った安全対策が「遺構を台無しにした」(羽田さん)。

市は二〇〇一年、学校敷地内にある防空壕の安全性を高めるため、保存整備工事を実施した。壕の入り口にコンクリート枠を設け、内部の壁を樹脂で固めた。壕の前にはブロックの足場が築かれ、中には照明が付けられた。

「戦争を知らない子どもたちが誤解する。歴史の事実を伝える遺構を造り替えてしまっては実相を伝えることができない」。市の対応に反発した羽田さんらは、元の形に近い修復を求めた。

しかし、市は「壕の内部は木の根が張り出し、土の緩みや地下水の浸入もあり危険。遺構の保存と学校の安全確保を検討した結果」とし、修復の考えはない。

姿を変えた防空壕を、案内コースから外す被爆者も増えた。しかし羽田さんは、子どもたちを連れ、足を運ぶ。「ここに防空壕があり、何が起こったか、伝え続けたいから」

自然史の研究者の一人は「周辺のがけや穴の入り口を十分な強度のモルタルやコンクリートなどで覆い、その上に、被爆当時の形状を模造することは可能」と、文化財修復の手法に沿った形での修復案を提起する。

「長崎の被爆遺構を案内する市民有志の会」の森口正彦会長(65)も防空壕跡の行方を案じる。「被爆者の苦しみや悲しみから懸け離れた場所で平和行政が行われている。あの防空壕はその象徴のように見える」。森口会長らは近く、市の意向をもう一度確かめるつもりだ。