曹泰山さん 死を待ち続ける町日
「約百人」。長崎市の在外被爆者支援連絡会(共同代表・平野伸人さんら四人)は、寝たきりで来日できない在韓被爆者の数をこう推測する。在韓被爆者約二千二百人の5%にも満たない。
広島で被爆した曹泰山(チョテサン)さん(82)。釜山市中心部から南に車で約十分、高層アパートに二男一家と暮らす。五年前からパーキンソン病を患い、日の差さない部屋で寝たきりの生活を送る。身体は小刻みに震え、振り絞るように声を発する。
「ドーンと爆風が襲ってきて、落ちてきた屋根に両足を押しつぶされた」。曹さんは震える手を何度も振り下ろし、原爆投下の瞬間を語った。
戦後二十数年、広島で暮らした後、韓国に戻り、くず鉄商を営んだ。苦しい生活が続き、足の治療も受けられなかった。左足は骨が浮き上がり、変形している。皮膚が黒ずんだ右足首の傷跡が、原爆のすさまじさを物語る。
曹さんは広島にいた一九六三年、被爆者健康手帳を取得した。それから四十年余、色あせた手帳はたんすの引き出しに大切に保管されていた。昨年春から在外被爆者への手当支給が始まったことで、手帳は確かに“生きる”はずだった。
「もう日本に望むことは何もない。毎日、死ぬことばかり考えている」。曹さんは首を横に振り、細くなった足を見詰めた。
韓国原爆被害者協会釜山支部の約四百人のうち、この一年で約二百五十人が手当を受け取るようになった。車貞述(チャジョンスル)支部長(74)は「同じ被爆者の間で格差が広がるばかり。寝たきりの人たちが日本に行くと死んでしまう。そんな危険は冒せない」といら立つ。
「日本政府は、人道的支援という名目で韓国の被爆者に援護の道を開いてきた。住んでいる国で手当や手帳の申請ができる方法も考えられるはず」。車支部長は、病床から訴える曹さんを前に、気持ちが焦るばかりだ。