我れ重層する歳月を経たり
 =父 山田かんの軌跡=
 山田貴己(長崎新聞記者) 2

山田かんが被爆した当時の長崎市下西山町付近(小川虎彦さん撮影、長崎原爆資料館所蔵)

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我れ重層する歳月を経たり =父 山田かんの軌跡= 山田貴己(長崎新聞記者) 2 目を見開き情景記憶

2003/07/31 掲載

我れ重層する歳月を経たり
 =父 山田かんの軌跡=
 山田貴己(長崎新聞記者) 2

山田かんが被爆した当時の長崎市下西山町付近(小川虎彦さん撮影、長崎原爆資料館所蔵)

目を見開き情景記憶

一九四五年八月九日、父山田かんは十四歳だった。午前零時から同八時まで長崎市鳴滝の学校工場で手りゅう弾などの部品を作り、同市下西山町の家に帰宅。長靴を脱いだ父は、汗まみれの服のまま一眠りしたり、台所でホットケーキを焼く妹に「腹減った。昼飯はまだか」などと声を掛けたりして過ごしていた。

家族の大半は郡部に疎開したが、十二歳の妹シュウ子(ゆうこ)と一緒にとどまっていた。

突然、真っ青なせん光が走り、爆音と爆風が襲った。反射的に伏せた。腹を突き上げる衝撃。畳が一気に持ち上がり、大量のガラス片が頭上を越えて背後の柱や壁に突き刺さった。屋根と二階は吹き飛んだ。

爆心地から二・七キロ。プルトニウム型原爆が浦上でさく裂、数万人の命が一挙に消滅した瞬間だった。

「庭に爆弾が落ちた」。そう思い込んだ父は、素足のまま一キロ先の金比羅山付近まで逃げた。道端のカボチャが煮えていた。妹の存在も忘れ、防空ごうに潜り込んだ。

「兄ちゃーん」。か細い声が聞こえ、はい出ると、追い掛けてきた妹が手に父の長靴と焼き損ねのホットケーキをぶらさげて立っていた。

「おい、火ば消してきたか。消してこい」。一人で逃げた恥ずかしさを打ち消すように命じた。後年、父は「ひどか仕打ちばした。狂っていた。謝らんばいかん」と、しきりに悔やんだ。

その日は、降りだした黒い雨にぬれ、父と妹は青天井の自宅の押し入れで肩を寄せ合い過ごした。五島町にいて助かった祖父の好雄も帰宅。翌日、親子三人は家族の疎開先に逃れるため、道ノ尾駅を目指した。

浦上へ続くがれきの道。累々たる黒こげの死体。人間の尊厳などみじんもない死に方。妹はおう吐し続けた。「人間はこのように死んではならない」と父は子どもなりに心に刻み、目を見開いて、情景を記憶した。

<網目になって倒れふしている/巨大な軍需工場の傍は注意せよ/工員や動員男女学生が息絶えて/屍毒(しどく)をはなち/脂ぎった蛆(うじ)が小指のように/黄色くうごめいているから/黒豆のような蠅(はえ)が飛びたつ/脚早くあるけ/カラスに注意せよ/やつらは腐肉をあさって/くちばしに目玉を吊(つ)りさげて飛びゆけば/そのしたを逃れよ/―略―/いま流れている時間のなかを行く意味を/生涯かけて記憶するために/腐りかけた塩鮭(しおざけ)と肥大したサーヂン缶を/自身の肉のように感じながら/目は決して伏せるな>(「長い道を……」抜粋)