「年老いた被爆者が被爆者の世話」 請求事務や渡日手配
「年老いた被爆者が被爆者の世話をしている」。韓国原爆被害者協会釜山支部の車貞述(チャジョンスル)支部長(73)は、韓国内の状況をこう語る。
電話鳴りっぱなし
昨年末の健康管理手当支給方針を受け、支部を兼ねた車さん宅の電話は一日中、鳴りっぱなしだった。ほとんどが手当に関する問い合わせ。
一方、被爆者の渡日健診を行っている西彼三和町の長崎友愛病院。ここでは、二月から同支部の被爆者の健診が始まった。手帳を持ち、来日できる人が手当の受給資格を得るためだ。
受給資格を長崎市に申請したのは、先週までに二十四人。同支部に加入する被爆者四百人のうち、来日可能な約二百二十人全員が終わるまでには約十カ月かかる。健診開始で手当をめぐる混乱は収まったが、来日に必要な書類確認や交通手段の手配まで、同支部が引き受けることになった。
日韓両政府は一九九〇年、在韓被爆者支援策に合意。それ以来、韓国の被爆者は、被爆者医療の指定病院以外で治療した場合、同協会の各支部で月々の治療費や薬代の領収書をまとめ、韓国政府の被爆者援護窓口である大韓赤十字社に提出。同赤十字社から十万ウオンを限度に三カ月分の費用が支給される。
韓国原爆被害者協会はソウル本部のほか、韓国各地に七つの支部があるが、請求事務は各支部の被爆者の肩にかかっている。釜山支部では在外被爆者訴訟の原告、李康寧(イカンニョン)さん(75)が月に約百十人分、約六百件を超す請求手続きを一人でこなす。
同支部は、車さんと李さんの二人三脚で運営。治療費の請求事務に渡日健診が加わり、手が回らない。その上、二人は持病の糖尿病も悪化、体調もすぐれない。健診専用の担当者を急きょ置いたが、この人も七十歳を超える被爆者だ。
健診には毎週、年齢が高い順から男女交互に六人ずつ来日。「平等に人選しないと(手当支給を急ぐ被爆者から)攻撃されます」。車さんは神経をとがらせる。
「裁判以上に大変」
姜正守(カンショウジュ)さん(83)=釜山市=は二月初め、長崎友愛病院に健診に来た。「手当は直接送金されるのか、協会や大韓赤十字社を通してなのか。いつから始まるのか、日本から説明はない」と不安そう。送金が始まれば、いずれの方法でも、各支部で年老いた被爆者が世話をしなければならない。
「裁判より、もっと大変な仕事を抱えてしまった」。車さんはまた、ため息をついた。