病 名 友の無念思いつつ闘う 本村勝之さん(69) =長崎市家野町=
本村勝之さんは三年前、ウイルス感染が主な原因とされるC型肝炎を発病、入院した。「病院に行くのが嫌で、輸血経験もなかったので、首をかしげた」。その後も入退院を繰り返したが、慢性肝炎に進行していた。
肝機能障害は、ウイルス性がその大部分を占めるとする常識が広まった。それに伴い、原爆症認定審査では、却下されることが多い病気に変わった。
長崎で被爆した東京都在住の男性は、肝機能障害で原爆症認定を求め、東京地裁で闘っている。「肝炎でも認定例はある。原因はウイルスだけではない。放射線を浴びたことによる肝機能低下を考慮すべきだ」。長崎被災協の山田拓民事務局長は、そう指摘する。
「原爆のせい」。本村さんは、ずっと思い続けていた。「若いころから疲れやすく、仕事も休みがち。床に就くと急に息苦しくなることが時々あった。検査しても『異常ない』の繰り返し」
疑いながらも、病気や原爆症認定制度について正確な情報を知らなかった。語り部をする友人に教えられ認定申請に踏み切った。
「東京の裁判などがあり、(肝臓病について)認定審査の見直しが進んでいるとも聞くが、やはり心配」。揺れ動く気持ちを抑えきれない。
「原爆が落ちる前、川で泳いでいた。川べりに干していたシャツなどが真っ黒焦げになった」。忘れられない原爆の威力。「裸で泳いでいた私たちも、放射線を浴びたはず」
当時の山里国民学校の六年生でつくる「山友会」の友人は、本村さんと同じ肝臓病で原爆症申請したが却下された。異議申し立てが審議中だった昨年、友人は願い届かずこの世を去った。
「無念だっただろう。友達のその思いも合わせて、闘っていくしかない」。還暦祝いに友人と並んで撮った写真を見ながら、本村さんは誓った。
あの日 十二歳のとき、爆心地から約一・五キロの清水町の川で、友達七人と遊んでいた。近くの防空ごうにござを干しに行き、川に戻ろうとしたら、飛行機の音がした。上空に三機見えた。ドーン。強いせん光の後、爆風で十メートル近く飛ばされた。気が付いたら、防空ごうの入り口で、友達と三人、折り重なるように倒れていた。姉と兄は仕事に出たっきり、行方不明になった。