福本隆治さん(61) (佐世保市大塔町) 工場崩れ無残な光景
当時四歳だった福本さんは、疎開先の佐世保にいた。原爆投下時の記憶は全くない。
しかし、母の実家が長崎にあり、投下から一年前後たったころ、被爆した親せき宅の見舞いのため、母に連れられて長崎に行った。
列車の窓から見た浦上周辺は「工場が崩れ、坂本町あたりの墓地の石塔が崩れ落ち、信じられない光景」。はっきりと覚えているという。
絵は「れんが造りの建物の高い煙突が爆風で崩れ、ぽっきりと折れている」様子。ひび割れた壁、広がる荒野、緑色の山並みだけがくっきり映る。応募の動機は「その当時の記憶をたどり、平和を願う思いを何らかの形で残したかったから」。
昨年三月、中学校教師を退職後も「日本で戦争があったことを知る最後の一証人」として、小、中学校で佐世保空襲や長崎原爆の惨状を語り継いでいる。