松尾恒幸さん(68) (諫早市永昌東町) 血で染まった浦上川
母子四人で疎開していた西彼西彼町で、松尾さんは目がくらむような原爆の光を見た。長崎市内で兵器の下請け工場を経営していた父親は偶然、疎開先に食糧を取りに来ていて無事。工場の様子を確認するため、松尾さんは父親と二人で自転車で長崎に向かった。
父子二人が長崎に入ったのは夕方近く。長崎の街は変わり果てていた。至る所から火の手が上がり、人や建物を焼いていた。負傷者の血で真っ赤に染まった浦上川では、水を求めて死んでいった人たちや動物が折り重なって浮き沈みしていた。そんな悲惨な光景を横目に、松尾さんは稲佐町の自宅へと急いだ。
自宅は全壊していた。「もう工場どころではない」と、松尾さんは父親と自宅近くの防空ごうで終戦まで過ごした。あれから五十七年。「当時の記憶を手繰ると、鼻をつく死体の腐敗臭とじりじりと焼けるような地面の熱さがよみがえる」と松尾さんは語る。