時枝多恵子さん(80) (長崎市銭座町) 母とはぐれた男の子
時枝さんは県立高等女学校の職員室にいた。当時二十三歳。窓の外の青白い光と、「サァー」と風が吹き抜けるような気配を感じた。爆発音は聞こえなかったという。
弟を捜しに行った兵器工場跡で、母親とはぐれた男の子に出会ったことが時枝さんの脳裏から離れない。時枝さんはあふれる涙をぬぐい「自分のことで精いっぱいで…あの子はどうなったのか、今でも気掛かりです」。
弟は大村市の海軍病院に運ばれていた。体は包帯で巻かれ、出ているのは目と口だけ。弟は出征時に振る舞おうと取っておいた酒をしきりに気にしていた。時枝さんは「大丈夫よ」と小さなうそをついた。弟は十日後、静かに息を引き取った。
自宅裏の防空壕(ごう)から見た稲佐山は木々が燃え、山肌が黄色く見えた。時枝さんはその光景を「砂漠にいるみたい」と感じ、描いた。手前には、弟が心配していた酒瓶がぐにゃりと曲がり、転がっている