菊野輝男さん(71) (長崎市葉山1丁目) うずまる無数の遺体
菊野さんは当時、鎮西中学三年生で十四歳。両親らと一緒に長崎市飽の浦町三丁目の姉夫婦の家に疎開していた。
あの日は登校前に空襲警報が鳴り、危ないので学校に行くのをやめた。家の外で長崎港を眺めていると突然「ピカッ」と光り、慌てて塀の内側に伏せた。その直後の強烈な爆風で家中のガラスが全部割れたという。
同市城山町の祖母宅には、叔父やいとこら九人が暮らしていて、そのうち五人が被爆して即死。翌々日から数日間、父と二人で大八車を引いて、遺体を捜しに行った。
その途中で見た、浦上川の側溝にうずまるおびただしい数の遺体を描いた。「この悲惨な光景が一番印象的だった。今でも忘れられない」
祖母宅で被爆した幼いいとこ二人は一命を取り留め、姉の家に連れてきたものの、二人とも終戦翌日に亡くなった。「かわいそうで上手に話しきれんとです」。菊野さんは声を震わせた。