中島廣喜さん(74) (長崎市東町) 河川敷からうめき声…
あの日、中島さんは長崎市丸尾町の三菱電機長崎製作所にいた。突然、目もくらむような光が頭上から襲いかかり、強風とガラス片がすごい勢いで降ってきた。浦上の空には黒煙が漂い、太陽が赤く透けて見えたのを覚えている。
十日、鎮西中学校(当時)に疎開していた工場を見に行った。浦上沿いの家々はがれきの山となり、黒く焼けた死体がごろごろと転がり歩けない状態だった。河川敷からはうめき声も聞こえた。辺りは見渡す限り真っ赤に焼けただれ、空はまだ黒々としていた。
学校に着くと校舎は残っていたが、人も機械も焼け焦げ男女の区別もできないほどだった。グラウンドには無数の死体と一緒にけが人が寝かされていた。
五十七年間、脳裏に焼き付いたままだった。今回、後世に残そうと絵筆を握った。「戦争は一瞬ですべてを無にする。身近なこととして平和について考えてほしい」と静かに語った。