川林虎次郎さん(83) (西彼時津町浦郷) 広がる「人けのない町」
私は二十六歳、諫早市の天満町駐在所に勤務する警察官だった。警防団詰め所で話をしていたとき、突然、強い光が空を青く染めた。
警防団員らは「焼夷(しょうい)弾が落ちたぞ」と叫び、外に飛び出たが火は見えない。間を置いて、ものすごい爆発音と爆風。何がどこで爆発したのか分からなかった。
午後一時ごろ、諫早駅に長崎からの列車が到着した。男女の区別もつかないような人々が、ぼろぼろの格好で降りてきた。そこで「空中機雷にやられ長崎は全滅した」と聞いた。
署に戻ると命令が下り、警防団員六人と救護に向かった。金比羅山から見た長崎の町は火に包まれ、地獄のようだった。
絵は被爆から三日目、西坂町辺りから見下ろした中町教会付近を描いた。ひたすら救護に励み、ふと気付くと家は倒れ、人けのない町が広がっていた。人間を焼きつくす兵器があるなんて、その時まで思いもしなかった。