絵は語る
 =『あの日』見たナガサキ= 1

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絵は語る =『あの日』見たナガサキ= 1 川口和男さん(73)(長崎市銭座町) 「惨状記録」へスケッチ

2002/07/24 掲載

絵は語る
 =『あの日』見たナガサキ= 1

川口和男さん(73)(長崎市銭座町) 「惨状記録」へスケッチ

NHK長崎放送局、長崎市、長崎新聞社などが、被爆体験を風化させず市民が平和に思いをめぐらすきっかけに、と三十一日まで募集している「被爆者が描く『原爆の絵』」に、全国の六十人から計百五十八点が寄せられた(二十二日現在)。作品は、言葉では語り尽くせない生きた“証言”で、原爆投下直後の長崎の風景を如実に表現したものばかり。この中から十六点を紹介する。

「ピカッと青白いせん光がしたかと思うと、落雷のようなものすごい音がした」。川口さんは原爆投下時、学徒動員先の川南造船所(西彼香焼町)にいた。何が起きたのかも分からず「原子雲」を見詰めていたという。

絵は「あの日」の夜、自宅(長崎市御船蔵町)近くの小高い山から見た幸町、宝町、八千代町付近。建物は焼け落ち一面、焼け野原だった。八千代町のガスタンクは破裂し、横の建物は深夜になっても赤々と燃え続けた。浦上川沿岸では、ドラム缶がいくつも爆発音とともに空に吹き飛んだ。

川口さんは「日本は戦争に負けた」と実感、ぼうぜんと眼前に広がる光景を眺めた。しかし、「この惨状を記録しなければ」と、携帯していた手帳と鉛筆を胸ポケットから取り出しスケッチした。

「核兵器はいらない。被爆者の絵を見て、もう一度、世界の人たちが平和について考えてほしい」と川口さんは願う。