迎香織さん(23) バスガイド 長崎の鐘 自分の中に鳴り響く
観光バスの車内は静まり返った。
長崎市坂本一丁目の山王神社の被爆鳥居を過ぎた辺りで、長崎自動車のバスガイド六年目、迎香織さんは、自ら被爆しながら救護活動に尽くした故永井隆博士の著書「この子を残して」の一節を朗読し、歌い始めた。
「長崎の鐘」(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)が、バスの中にゆっくりと流れた。
永井博士の著書を基にした歌。一九五〇年、藤山一郎の歌唱で大ヒットする。長崎自動車でも、このころから歌い始めた。
「泣いてくれる人もいるんですよ。歌詞を紙に書いてくれと頼まれることもあります」。悲しい歌だ。決して喜んではいけない。でも、ちょっぴり仕事の達成感も感じる。
入社したころは、原爆について特別な意識も知識もなかった。用意されたマニュアルを丸暗記し、こなす日々。
何度も客とともに平和祈念像前で黙とうし、この歌を歌った。少しずつ気持ちが変化した。
「原爆が落とされたこの地。県外の人に、単なる観光地として見せてはいけない」。そう思うようになった。
「この子を残して」を読み返し、時代の背景を探った。寮で歌を口ずさむことも。簡単に分かったふりはできない。でも、確実に自分の中に長崎の鐘が鳴り響いてくるのが分かった。
「自分が感動しないと客を感動させることはできない」。教官が口酸っぱく話す言葉の意味が最近、分かるような気がする。
「長崎原爆の日」が近づいたこの日も、バスは午後二時にJR長崎駅前を出発した。市内定期観光「よかとこめぐりコース」。長崎原爆資料館や平和公園を回り、南山手まで三時間のコース。
乗客は県外の観光客がほとんど。予備知識が「原爆が落とされた場所」だけの人もいる。難しい。
感情は押し殺す。誤解を招かぬよう個人的意見は言わない決まりだ。ただ、被爆地長崎の第一印象を決めてしまうという現実は、ある。
「原爆で傷ついた人々の心を癒やしたこの歌。復興した今の街並みからは、あの日の惨状は想像できないけれど、頭の中には常に思い描いて歌っています」
歌が終わるころ、バスは永井博士が被爆後に暮らした如己堂がある浦上地区を離れ、グラバー園へと向かった。