園田鉄美さん(50) 県職員 構成組曲「平和の旅へ」 被爆者の心の叫び
「病気で語り部活動ができないときや、遠くて行けない所でも、この歌が私の代わりに証言をしてくれます」
渡辺千恵子さんは、曲の完成をとても喜んだ。一九八五年、被爆四十周年だった。
園田鉄美さんは、作詞、作曲する県庁マン。恋愛、環境、そして平和。これまで二百曲以上を作ってきた。
彼女に出会うまで、ギター一本のフォークソングに心酔していた。それはそれで楽しかった。
八四年末、仲間三人とつくった歌声グループで、被爆四十年を前に被爆の実相を伝える作品ができないかと頭を悩ませていた。
「被爆者の証言を聞くしかない」
渡辺さんに会いに行った。渡辺さんは第二回原水爆禁止世界大会(五六年)で証言して以来、被爆地ナガサキを代表する語り部として国内外で活動していた。
絶望から立ち上がり、車いすから被爆者の心の叫び、生きる勇気を訴えてきた人生を、目の前で聞いた。壮絶な話なのに、渡辺さん自身は明るい人だった。
八曲の合唱と語りから成る構成組曲「平和の旅へ」ができた。医者に見放された体、ひねくれていた日々、立ち直るきっかけをつくってくれた母、そして平和を語る旅へ…。
脚色は必要なかった。彼女が語った被爆体験をそのまま歌詞にした。
合唱団を結成し、八五年七月十二日に初演。「平和運動の励みになった」「学校で生徒たちに聞かせ、歌わせたい」。すぐに反響があり、うれしかった。
初演から八年後の九三年三月十三日、渡辺さんはこの世を去った。
数日後、園田さんは渡辺さんの自宅を訪ねた。「私たちが語り部を引き継ぎます。見ていてください」。手を合わせ、語り掛けた。
今年は初演から十八年目。演奏回数は百三十一回を数える。最近、中高生たちが平和集会などで演奏してくれるようになった。
「未来は若者たちのものですが、核兵器のない未来をつくるのは、今を生きる私たちの決意と行動にかかっています」。最初に会った後、彼女の言葉が何日も頭から離れなかった。そして今も離れない。いや、これからもずっと―。