寺井一通さん(53) シャンソン歌手 浦 上 繰り返さぬように
” みなさんは心に残るメロディーがありますか。忘れられない歌詞がありますか―長崎原爆の「あの日」から五十七年。街にはクラシック音楽や歌謡曲などがあふれている。長崎を舞台に生まれた歌も数多い。そして、被爆地に足を着け、平和を歌い継ぐ人たちがいる。その歌からは、平和を願い、平和を愛するメッセージが聞こえてくる。平和の「応援歌」。そんな歌を紹介する。
原水爆禁止世界大会などで歌っていた時期がある。「被爆者とのかかわりが多いんで、同じ境遇の弁護士なんかと、冗談で『被爆者被害の会』なんていうのをつくったりしてね」
寺井一通さんは、そう言ってたばこをふかした。
被爆者でも、被爆二世でもない。だが長崎に生まれた以上、「原爆」を素通りできなかった。
「今の時代、90%がどうでもいい音楽、5%が悪い音楽。そして、残りの5%が後世に残していくべきいい音楽なんです。自分はこの5%で生きていきたい」
「浦上」は二十三年前、平和をテーマに初めて手掛けた曲。寺井さんの原点の歌だ。
全国を回るコンサートで、この曲だけは欠かさず歌う。「はっきり言って暗い曲。でも、明るい曲だけ歌っていても、被爆者の気持ちは伝えられない。被爆の実相ときちんと向き合ったものでないと歌う意味がない」
七年前、被爆五十周年の年。八月に入るとマスコミを含め、多くの人が長崎を訪れた。にぎやかだった。平和への高まりを嫌でも感じた。しかし、九日が終わるとみんないなくなった。
これじゃ駄目だと思った。「平和運動はもっと日常的なもの。『九日』ぐらいは長崎の街のどこかで歌を響かせたい」。今は毎月九日、一人で平和の歌を歌っている。
今月九日もそうだった。午後七時、鍛冶屋町の喫茶店でミニコンサート「長崎の歌の日」が始まった。店には、仕事帰りのサラリーマンや近所の主婦、そしてファンが集まってきた。
平和の歌に限定はしない。ラブソングあり、シャンソンあり、公害の歌あり。
寺井さんは真っすぐ正面を見据え、「浦上」をそっと歌い始めた。
鎮魂歌が店内を包みこむ。原爆によって、母を亡くした子ども、息子を亡くした母。絶望のふちにある被爆者の姿をストレートにつづった歌。二度と「浦上」が起こらないように。そう願って…。”