判決迫る李訴訟 「なぜ差別されるのか」
在外被爆者に被爆者援護法が適用されていない問題は、厚生労働省の検討会が十日、報告書を取りまとめたことでヤマ場を迎えた。戦後半世紀以上が過ぎた今、在外被爆者に真の救済の手は差し伸べられるのか。報告書の内容や検討会での議論などを通じ、在外被爆者問題をあらためて考える。
勝訴こそが名誉回復に
検討会が国へ提出する報告書を取りまとめた十日、韓国・釜山市で一報を聞いた李康寧(イ・カンニョン)さん(74)は自分に言い聞かせるように語った。
「検討会がどういった結論を出そうが、裁判で勝つことが私の仕事だと思っている」
李さんは、海外にいる被爆者にも被爆者援護法の適用を求めた裁判の原告。被爆者健康手帳の取得後、韓国への帰国を理由に健康管理手当の支給を打ち切ったのは不当として一九九九年五月、国と長崎市を相手取り、処分取り消しなどを求める訴訟を長崎地裁に提訴した。その判決言い渡しが二十六日に迫っている。
父の代に日本へと渡り、福岡で生まれた。日本が朝鮮人に強要した「創氏改名」で、少年時代は姓を木村と名乗り、康寧は「やすし」と読み替えた。
十六歳の時、長崎市の三菱兵器製作所大橋工場に徴用され、寮になっていた市内の寺院(爆心地から二・五キロ)で被爆。この七年ほどは糖尿病を患い、健康不安は年齢を重ねるにつれて増すばかり。日本の医療機関では有効の被爆者健康手帳も韓国では使えず、年に数回、長崎への渡日治療を続けている。渡航や滞在費は市民カンパだ。
提訴するまで、被爆体験は家族にさえ話さなかった。「韓国では原爆投下が日本からの祖国解放と独立をもたらしたとの意識が強い。被爆者への偏見も恐れて、被爆の被害は口に出せない状況だ」。崔日出・韓国原爆被害者協会元会長は、健康面や生活面での苦しさだけでなく、精神的にも孤立している在韓被爆者の心情を代弁する。
「私は終戦まで日本人として生き、日本で働かされ、そして被爆した。なぜ、日本国内の被爆者と差別されないといけないのか」―。裁判では一貫してこう訴え、条文に国籍条項がないにもかかわらず、援護法を海外居住者には適用しないとする旧厚生省の局長通達の問題点を指摘した。
これに対し、被告の国などは、援護法は戦争責任を前提とする国家補償立法ではなく、社会保障立法と位置付け、「社会保障制度は社会構成員の税負担で成立する。わが国の社会を構成していない外国人に、法を適用する根拠はない」と主張、真っ向から争っている。
同種の訴訟では、大阪地裁が六月、海外に住む被爆者にも手当の受給資格があるとの初の司法判断を示した(その後、被告の国などは控訴)。それだけに李裁判の一審判決が注目される。
「裁判は在外被爆者全体の名誉がかかっている。私一人の問題ではないんだ」。李さんは、祈りにも近い気持ちで判決の日を待っている。