平和を阻むもの アンネの家で戦争実感
高校生平和大使の三人はスイス、オランダで戦争や平和に関するさまざまな博物館を訪れた。そして、第二次世界大戦が残した傷跡は広島、長崎の原爆被爆にとどまらないことや、今も世界を覆う「平和でない状態」の存在を痛感した。
八月二十五日に訪れた「アンネ・フランクの家」(オランダ・アムステルダム)。ユダヤ人のアンネ(一九二九~四五年)と家族らは、第二次世界大戦下でオランダを占領したナチスドイツのユダヤ人迫害を逃れるため、四二年から約二年間、この「隠れ家」で息を潜めて暮らした。隠れ家での生活をつづった「アンネの日記」はあまりにも有名だ。
野副由布子(長崎北陽台高二年)が昨年、初めて同平和大使に応募したのは「アンネの家を訪れたい」と思ったからだった。このときは落選したが、それがきっかけで昨年十一月に長崎市で開かれた非政府組織(NGO)国際会議の分科会の運営、今年の「高校生一万人署名」にそれぞれ携わった。
「昨年応募しなかったら、核兵器や平和についてこれほど考えることはなかった。でも今は平和活動が生活の一部」。大きな変化をもたらす原点となった場所の訪問は、念願の一つだった。
本棚に隠された隠れ家の入り口、アンネが日記を書いた部屋など、当時のまま保存されたアンネの家。壁などの劣化を防ぐため照明を抑え、窓には黒いメッシュのカーテンが掛けられていた。
「小さな部屋に閉じこもって、友達と話したり好きなこともできなかった。私だったら耐えられない」。野副は同世代の少女の物語から、自由に暮らせないことの恐ろしさに胸を震わせた。
部屋の壁いっぱいに張られた数百に及ぶ子供たちの写真。同二十三日に訪れた「国際赤十字博物館」(スイス・ジュネーブ)で見たのは、紛争に巻き込まれ、親の行方が分からなくなったたくさんの子供たちの「顔」だった。
同博物館は、十九世紀に始まり、世界各地の戦争犠牲者らの救援を行っている赤十字の歴史を展示。同時に現代の紛争や飢餓、災害に対して取り組んでいる活動の紹介も行っている。写真は、親の名前も何も分からぬまま孤児になった子の親族を捜すため、赤十字が撮影したものという。「数に驚いた。戦争の恐ろしさに触れた」と堤千左子(長崎東高三年)。
「原爆も、何もかもすべてが戦争のせい。二度と起こしてはいけない」。野副は言い聞かせるように、強い口調でつぶやいた。それは率直な実感だった。(文中敬称略)