転 機 思いもよらぬ首相発言
「未指定地域にも健康不安などの問題がある以上、国として考えていくことが大切」。昨年八月九日、平和祈念式典に出席後、長崎市内で記者会見した森喜朗首相(当時)の言葉に、だれもが驚いた。長崎側が被爆地域拡大を求め東京で展開した大要請行動から二週間もたっていなかった。
政府は、被爆地域拡大に否定的な態度を貫いてきた。そのトップが突然、“前向き”に転じた。森首相は当時、「神の国」「国体護持」など発言のたびに批判される繰り返しだった。被爆者団体幹部の一人は「また思いつきか、リップサービスじゃないの?と疑った」と振り返る。
本県選出の田浦直参院議員も驚いた一人だった。同じ日の東京、原爆忌に開かれた参院国民福祉委員会で、田浦氏は政府に地域拡大を迫った。答弁に立った当時の津島雄二厚相は「原爆放射線による科学的知見から言うと、地域指定の変更は難しい」と従来の政府見解を繰り返した。そのころ、長崎では首相会見が開かれていた。「長崎の情報は委員会直後に聞いた。正直、耳を疑った」
伊藤一長市長も「あのときは仰天した」と言う。「だが後から考えると、会見で総理はメモに目を落としていた。横にいた幹部官僚も平静だった。事前に策を練り、用意した発言だったのかな、と今は思う」
「首相が長崎に向かう機中で、この問題を官僚が説明した」という説もあり、森氏が短時間で判断したとする見方もある。当の厚生労働省は経過を明かさない。同省関係者の一人は「省の従来の方針からすれば考えられない政治的な発言。ただ、過去の政権でも総理の一言で省庁の方針が一変した例はある。(官僚には)総理の言葉はそれほど重い」と漏らす。
一九八〇年の「地域拡大は科学的・合理的根拠がある場合に限る」とした厚相諮問の「基本懇答申」から二十年。その道が閉ざされてきた被爆地域拡大が、実現可能な課題として認知された。
森発言から二カ月後、国は、未指定地域住民の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を指摘した長崎市の「証言調査報告書」を検証する検討会を設置。以後、状況は急展開が続いた。