山里国民学校防空ごう跡整備 被爆者ら不満の声 市との論議は平行線
被爆の実相を伝えるため長崎市が保存整備した山里国民学校防空ごう跡(同市橋口町、爆心地から約七百メートル)をめぐり、被爆者や被爆遺構案内のボランティアなどから疑問や不満の声が上がっている。 整備工事では、ごうの入り口に新たにコンクリート枠を設け、ブロックの足場などが施された。これにボランティアらが「被爆した原形がうかがえなくなってしまった」と反発。「長崎の被爆遺構を案内する有志の会」(森口正彦代表)をつくり、「平和公園の被爆遺構を保存する会」(竹下芙美代表)、「県被爆二世教職員の会」(平野伸人代表)と連名で五月、市に元の姿に近い形に直すよう求める要望書を提出した。
これに対し、市側は「防空ごう内部は木の根が張り出したり、土の緩みや地下水の浸入もあり危険。遺構の保存と安全性の確保を念頭に検討した結果の工事だった」と理解を求めた。
だが、森口代表らは「安全性だけが優先され、なぜ被爆遺構を残さなければならないのかという基本理念がない」「現場を案内している関係者にも意見を聞くべきだった」と市側を批判。関係部署を集めた話し合いの場を設けるよう求めたが、市側は個別には対応するが、関係部署を集めた話し合いは「一度開いている」として拒否するなど、数度にわたる話し合いは平行線が続いている。
同問題は六月定例市議会でも取り上げられたが、市側は「保存と安全確保に万全を図った」とこれまでの主張を繰り返した。
森口代表は「被爆者が高齢化する中、被爆遺構は当時の惨状を被爆者に代わって後世に伝える貴重な財産。より良い形での保存を進めるためにも市側への働き掛けを続けたい」と話す。
戦後五十六年。被爆体験の継承を進める中で、被爆遺構の保存は避けては通れない重要な課題。今回の問題をきっかけに、論議を深め、両者の見解のずれを埋める努力が求められている。=おわり=
山里国民学校防空ごう跡
当時二十を超える防空ごうがあった。現存するごうでは原爆投下時、教職員が掘り進む作業をしていた。中に飛び込んだ三人は無事だったが、多くが熱線や爆風で負傷、爆死した。