松野心一さん(71) 西彼香焼村(現在の香焼町)で「被爆」 正面から浴びたせん光
夜中、突如襲いかかる青白いせん光の悪夢に、何度揺り起こされたことだろう。松野さんは、五十六年前のあの日の出来事が今も脳裏に焼き付いて離れない。
あの日、いつものように旧川南工業香焼島造船所内の工具工場で作業台に向かっていると、目もくらむほどの光が何の前触れもなく襲いかかってきた。窓の近くで作業していた松野さんはその光を正面から浴びた。
「何が起きたんだ」―。作業員が口々に叫びながら窓際へ駆け寄った次の瞬間、窓を突き破って入ってきた爆風に、松野さんらは将棋倒しになった。
それからが修羅場だった。人々の顔は恐怖に引きつり、防空ごうの前は先を争う男女の悲鳴と怒号が飛び交った。「足を引っ張り、他人を押しのける者もいた。皆、自分だけは助かろうと命懸けだった」。人間の本性を垣間見た気がしたという。
衝撃の強さから最初は近くに爆弾が落ちたと思っていたが、後で長崎市内に新型爆弾が落とされたことを人づてに聞く。「もう、駄目だ…」。身をもって思い知らされた原爆の威力は、日本の勝利を信じて疑わなかった少年に敗戦を覚悟させるのには十分だった。
近所からは市内の工場へ動員されていた友人も少なくなかった。「変わり果てた姿で帰ってきた友人の焼けただれた背中にはうじ虫がわいていた。十分な手当ても受けられず、一週間もたたないうちに亡くなった」。話が原爆の犠牲になった友人たちのことになると涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。
終戦の翌年、気管支炎と診断された。「被爆」との因果関係は分からないが、毎年、梅雨の季節と冬の初めになるとせきとたんが出て胸が苦しい。「入退院を繰り返し、四週間に一度の通院が欠かせない。もう何十年と薬ものみ続けている。この病気とは死ぬまで付き合っていくしかない」
長崎の未指定地域住民らを対象に現地調査を実施した厚生労働省の研究班は先月、焦点だった心的外傷後ストレス障害(PTSD)に関し、未指定地域にいて「被爆」した住民は、被爆を体験していない人たちよりも精神的健康状態の悪化が顕著であることを中間報告で指摘した。松野さんが受けた心の傷は決して特異なケースではない。
メ モ
◆現地調査 国立精神・神経センターを中心とする研究班が今年三月、長崎市と西彼香焼町など周辺六町で実施。原爆投下時、未指定地域にいた住民や、同地域内に戦後移り住んだ非被爆者などを対象に面接や採血をし、計七百九人の結果を集約した。