評価共通する点も
被爆地長崎で永井隆論争にかかわってきた四氏の主張を紹介しながら、論争の概要を見てきた。論争の焦点は、永井の「原爆は神の摂理」という言葉だった。永井の真意がどこにあったのか、この言葉が社会的にどのような影響をもたらしたか、に関して鋭い意見の対立があった。 一方、永井の置かれた社会背景の認識や、その先見性への評価では共通する部分も多かった。今回は共通点を見ていきたい。 ◆背景には差別 まず、永井の言葉の背景にはカトリック差別の歴史があったという点。永井批判を行った高橋真司(長崎大学教授)も「カトリック差別は長崎の近代化、日本の近代化の過程の暗部と言える問題。永井の発言だけを取り出して議論するのではなく、歴史の中で考えることが大切」と言う。 永井が放射線専門医師としての知識を最大限に発揮して被爆者の治療に没頭し、正確で詳細な被爆、救護記録を残したことの功績は高い評価で共通した。同じく永井を批判してきた山田かん(詩人)は「あの時代に、あれだけの救護記録を残した意義は大きい。原爆の医学的な影響をはじめ、科学者の目で見た実態報告は貴重で、永井ならではの業績」とたたえる。 「永井の言葉は宗教的なものであり、真意を理解すべき」と訴えている片岡千鶴子(長崎純心大学学長)は「永井といえば、摂理という言葉ばかりに議論が集中するが、まず第一に注目すべきは『長崎の鐘』や『長崎医大原子爆弾救護報告書』などに見られる放射線専門医師としての卓越した仕事ぶり」と強調する。 「摂理」の言葉に議論は残るものの、永井が原爆の恐ろしさを訴え、戦争反対、恒久平和を長崎から世界に向かって高らかに叫び続けたことには、当然ながら評価が集まる。 高橋は『長崎の鐘』の次のような叙述に注目する。「人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。(中略)この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」 高橋は「こうした平和の思想こそが永井の最も重要なメッセージだった」と評価。「戦争は非人間的なものという点について、非常に鋭い、先駆的な哲学的考察がしばしば見られる」 ◆先見性に注目 カトリック信者の本島等(元長崎市長)も永井の先見性に注目する。 本島は、『長崎の鐘』の中の「自国の利益を目的として始める戦争が正義の戦いでしょうか?」「さあ、神の前に正義でない戦いに勝利のあるわけがありません」との問答に注目。「永井は、あの戦争は不正義の戦争であった、という認識を持っていたのだ。この認識はすごい。当時、被害者意識だけで反省のなかった日本人の態度とは全く異なっている」と言う。 ◇ ◇ 没後五十年を経ても、なお独特の緊張感を伴って展開される永井隆論争。永井の思想をめぐる論争はなぜ、いつまでも被爆地長崎で熱い関心を集めるのか。 それは、永井論争とは、永井の思想が人々にどう受け止められ、社会にどう影響を与えたかを考察することであり、永井に関する多様な考察を重ね合わせていけば、戦後長崎の多面的な市民意識が浮かび上がってくるからではないだろうか。永井像を追求することは、ナガサキの思想の自画像に迫ることでもある。 そうだとしたら、これまでのような永井論争の在り方もまた、問われるべき時期に来ていると言える。論争は、永井の真意や人物評価に関する主張を一方的に提示する方法で行われてきた。だが、永井を通じて社会や思想の多面的な考察を目指す立場に立ち、協力して補完し合うなら、議論は飛躍的に深化することだろう。永井研究の成果を持ち寄り、複眼的で総合的な永井論の構築が待たれる。 (敬称略) =おわり= ←前頁