確実な成果 何かを感じ取った子供ら
「『怖い』と思うだけでもいいから、子供のうちに原爆について何かを感じておいた方がいいと思って」 主要国首脳会議(沖縄サミット)最終日の二十三日、沖縄県平和祈念資料館(糸満市)で開かれている「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を知人の子供四人を連れて訪れた那覇市の女性中学校教師(39)は、こう話した。 「怖かった」「すごかった」―。予想通り、顔をゆがめる子供たち。この教師は「沖縄戦はもちろんちゃんと知るべき。そして、こうして原爆について見たことも将来、きっと役立つはず」と子供たちに目を向けた。 長崎、広島両市は同日、同館で被爆者による証言セミナーを開いた。そこには平和学習の一環で訪れた糸満市内三つの中学校の生徒約八十人の姿があった。「教科書で学べないことを直接聞けてよかった」。生々しい体験に触れた生徒たちは、口々にそう語り、原爆展にも足を運んだ。 両市によると、同展の入場者数は、開幕した十四日から二十六日までに約五千二百人。同館の全体入場者数(約八千人、同館調べ)の約七割が、被爆の実相にも触れている。両市が視察を要請したクリントン米大統領らサミット出席の各国首脳が訪れることはなかったが、被爆地の訴えは、同じ苦難の歴史を持つ沖縄県民らに少しずつ届いている。 沖縄サミット期間中、わずかだが原爆展を訪れた外国人もいた。世界の核情勢を説明したパネルの前で、米国のある政府機関関係者は「とても悲しい。核兵器は必要のない存在だ。原爆について今まで深く考えたことはなかったと思い知らされた」と語った。 「原爆の被害を学校で学ぶことは少なかった。ショックを受けた」。原爆展は、米国人留学生、マイク・ピカンスさん(17)の心もつかんだ。「こういったものを深く知ることが、世界平和につながるのではないか。これを機会に原爆について深く考えていきたい」 二十一日に同展を見学した米国人の児童、生徒約四十人を案内した広島平和記念資料館の畑口實館長は「最初は陽気だった子供たちが、みるみる黙り込んで静かに展示品を見詰めた。悲惨な内容にショックを受けたようだったが、何かを感じ取ってくれた手ごたえはあった」と振り返る。 長崎原爆資料館の南條保郎館長も、地道な訴えの必要性を強調する。「個々の成果はわずかでも、今回のような原爆展を積み重ね、日本全国、ひいては海外へ被爆地の願いを広げなければならない」と。 ◇ ◇ ◇ 二十一日訪れた米国人の子供たちは、原爆展見学後、会場に用意された折り紙で、慣れない手付きで折りづるを折った。平和への願いが込められた折りづるは後日、千羽づるとなってナガサキ、ヒロシマへ届けられる。小さいが、確実な成果があったことを示す一幕だった。原爆展は二十七日、閉幕。