訴えは届いたか
 = 沖縄の原爆展から = 上

クリントン米大統領の演説を見守った(右から)秋葉広島市長と伊藤長崎市長。しかし大統領の資料館への訪れはなかった=21日、沖縄県糸満市の同県平和祈念資料館

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訴えは届いたか = 沖縄の原爆展から = 上 ついえた期待 米大統領要望に答えず

2000/07/26 掲載

訴えは届いたか
 = 沖縄の原爆展から = 上

クリントン米大統領の演説を見守った(右から)秋葉広島市長と伊藤長崎市長。しかし大統領の資料館への訪れはなかった=21日、沖縄県糸満市の同県平和祈念資料館

ついえた期待 米大統領要望に答えず

主要国首脳会議(沖縄サミット)に合わせ、沖縄県糸満市で開催中の「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」。平和の願いで共通する沖縄の地で、長崎、広島両市が連携して世界に核兵器廃絶を訴えるものだが、被爆地の思いをよそに、サミットに出席した首脳ら要人はだれ一人、訪れなかった。サミット期間中(二十一~二十三日)の動きなどを中心に、「被爆地の訴え」が届いたのかリポートする。

「残念だ」―。サミット初日の二十一日、クリントン米大統領が演説した糸満市摩文仁の「平和の礎(いしじ)」が見渡せる同県平和祈念資料館の一室。演説を終えた大統領が視界から姿を消すと、伊藤一長長崎市長らは、ため息とともにそうつぶやいた。

同展には、むごいやけどや傷を負った被爆者の写真、溶けた瓶など原爆のすさまじさを物語る資料が並んだ。サミットに合わせて開いたのは「核兵器廃絶実現のために、核保有国をはじめ、各国の首脳、関係者に見てもらい、原爆の悲惨さや脅威を知ってほしい」(伊藤長崎市長)との願いからだ。

長崎、広島両市は、サミットに参加する各国首脳らに対し、事前に同展視察を要請。クリントン大統領が平和の礎を訪れることが分かった六月下旬には、大統領あてに再度書簡を送った。

これに対し「カナダからは首相は行けないとの返答があった」(広島平和記念資料館)ものの、ほかの国の首脳からは、同展を視察するかどうか明確な返答はなかった。

だが、伊藤市長、秋葉忠利広島市長はサミット直前に急きょ、沖縄に向かった。「視察を要請している以上、できる限りの努力はしたい」と、原爆展会場でクリントン大統領らを待つためだった。

沖縄県によると、サミット期間中、平和の礎に立ち寄った海外要人は、クリントン大統領と二十二日に訪れたEU委員長夫人だけ。長崎原爆資料館の南條保郎館長らは、平和の礎を見学した同夫人のそばに寄り、同展視察を呼び掛けようとしたが、随行員に原爆に関する資料を手渡すのが精いっぱいだった。夫人も同展会場に立ち寄らなかった。

海外のマスコミの反応も鈍かった。長崎、広島両市によると、サミット閉幕までに、原爆展を取材した海外マスコミはわずか二、三社。核保有国の取材はなかった。南條館長は「海外マスコミに自国に向け報道してもらうことも、サミット中に原爆展を開いた大きな理由の一つだったのだが…」と肩を落とした。

クリントン大統領の原爆展視察について、長崎市は「可能性は低い」とみていた。それでも、大統領に送った書簡では「(原爆展に)お立ち寄りいただければ、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を願う国際世論の醸成に向け、大きな弾みになるものと考えております」とかすかな望みをつないでいた。しかし、その願いは届かなかった。