暮らしの中の原爆遺構 2

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暮らしの中の原爆遺構 2 料亭「松亭」=長崎市本石灰町・爆心地から3.9キロ=傾いたままの欄間

2000/08/05 掲載

暮らしの中の原爆遺構 2

料亭「松亭」=長崎市本石灰町・爆心地から3.9キロ=傾いたままの欄間

長崎市本石灰町の料亭「松亭」は明治二十八年築造。木造三階建て。どっしりと風格のあるたたずまいだが、原爆の爆風を受け一瞬持ち上がったという。
奥座敷一階にある十二畳の「杉の間」。三階まで通った柱に対して垂直なはずの欄間が約十センチ左下がりになっており、建物が傾いているのがはっきりと分かる。これを見た客は驚きで一瞬言葉を失うという。これまで二度、傾いている側を持ち上げる工事をしたが完全には戻らなかった。

被爆当時、長崎市立高等女学校二年で三菱に学徒動員されていた松亭の女主人、松田寿子さん(69)はあの日、母親と階段を掃除していた。「二階の踊り場の窓に風船の形をした赤い光が見えたと思った次の瞬間、ものすごい爆風で吹き飛ばされ、階段の下で母と重なり合っていた」と原爆の脅威を語る。

二階の中広間にある床の間の床縁にも被爆の痕跡が残る。畳の下に打ち付けられた板の桟が爆風でめくれ上がり、床縁を傷つけたのだという。

松亭は十年前に玄関の位置を変えるなどの改装工事をした。しかし、「杉の間」と床縁が傷ついた床の間は「原爆の威力のすさまじさを後世に伝えたい」との思いから、そのままにしている。

「原爆は嫌な思い出。でも絶対に忘れてはいけない出来事。きちんと語り継いでいかなければ」。松田さんの決意は固い。