少年・少女の死 悲痛な記憶 胸に刻む
被爆直後から負傷者の救護所となった新興善国民学校の病室(教室)に、顔に傷を負った4歳ぐらいの女の子が、やはり負傷した母親と一緒に収容されていた。女の子は、左側の頬に半円状の裂傷があった。縫合はうまくいき、元気な様子だった。
救護所には、毎日、むごい傷を負った人々が次々と運び込まれる。無邪気で愛らしい女の子は、傷ついた負傷者らにとっても、息つく暇もなく治療に当たる降旗らにとっても、心和む存在であった。
女の子は順の他には目立った外傷もなかったが、ある朝、突然亡くなった。その安らかな死に顔が、周囲の大人たちの涙を誘った。
市内に点在する他の学校や公民館なども、新興善国民学校と同様に負傷者の収容所となっていた。降旗らはそうした所へも治療に通った。その一つに、7歳ぐらいの男の子が収容されていた。片方の太ももに、インク瓶ほどの塊の第三度火傷(炭化)があった。なぜ一部分だけにこんなひどい火傷を負ったのかは、分からなかったが、毎日通って診ていた。元気そうに見えたその少年は、ある日突然、炭化した部分がすっぽり抜けると同時に、息を引き取った。素直でハキハキした男の子だった。少年の死もまた、悲痛な記憶として降旗の胸に刻まれた。
8月の炎天下、市内各所の防空壕(ごう)にも通った。長崎の町を歩いていると、練炭の灰のような形をした灰白色のものがあった。人間の頭蓋骨が高熱で焼けたものだった。つまずいて、ちょっと触れると、ほこりのように、散ってしまう。何度となく経験した。
ある朝その子 ふっと死にけり あどけなき 優しき笑みを頬に残して
如何なる熱傷にや 超高熱の 原子線 せばめられてぞ放射されしか
悲し悲し 破(や)れしまゝなる 高窓ゆ 秋空仰ぎ涙流しき
(歌集「鎮魂」より)