活水女子大の授業で、学生を指導する山口さん=長崎市東山手町

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長崎原爆と向き合う 研究者の継承<4>完 長崎大核兵器廃絶研究センター客員研究員 山口響さん(42) 体験継承へ役割果たす 被害の全容把握が必要

2018/07/30 掲載

活水女子大の授業で、学生を指導する山口さん=長崎市東山手町

長崎大核兵器廃絶研究センター客員研究員 山口響さん(42) 体験継承へ役割果たす 被害の全容把握が必要

 「私たちは城山小学校についてまとめました」
 今月上旬、長崎市東山手町の活水女子大の教室で、学生数人による発表をじっと見守った。本年度始まった「長崎と平和」の授業(4~7月)を非常勤講師として担当。長崎の戦後史などを扱った締めくくりとして、受講の約50人を10グループに分けて当たらせた調査結果の発表がこの日、始まった。各グループは浦上天主堂や爆心地公園など、長崎原爆にまつわる場所を1カ所ずつ担当。現地を訪れ、戦後の推移にも着目して調べるよう指導した。
 同大や長崎大など複数の大学、高校で非常勤講師を務め、長崎大が昨年創刊した英文オンライン学術誌「平和と核軍縮」編集長補佐を担当。さらに4月、同大核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員に就き、被爆体験記や証言を基に長崎の戦後史の研究を進めようとしている。被爆体験継承に不可欠だと考えるからだ。
 「被爆体験」は多くの場合、原爆投下直後から数日程度の出来事を指す。だが、その後の被爆地の人々や社会にも原爆は大きな影響を及ぼした。これについて、長崎では医学的アプローチが盛んな一方で、社会科学的研究は「最近まで皆無に等しかった」。直接の破壊や死傷にとどまらない被害の全容の把握が、「原爆被災をどう理解するか」「次世代が何を被爆体験として継承するか」の考察に必要だという信念がある。
 同時に、戦後史を知ることは、73年も前の出来事を現在からさかのぼって考え、想像する助けになると思う。だから学生に戦後史を語る。「長崎の証言の会」で2014年から被爆証言誌の編集長を務め、多くの被爆体験記を読み込む中で「生活、仕事、家族…今と同じ人間の生きざまがある」と気付いた経験が背景となっている。
 西彼長与町出身の被爆3世。だが、高校まで原爆に関心を深めることはなかった。京都大で政治学を学び始めた1995年、米兵による沖縄少女暴行事件が起きる。「平和を守るはずの軍隊が平和を妨害している。なぜ軍隊が社会に存在するのか」と憤りを感じた。
 そんな時、目に留まった本があった。「ナガサキの平和学」(長崎総合科学大長崎平和文化研究所編)。長崎から「平和」を問う研究に引かれ、同研究所長だった鎌田定夫氏(2002年死去)と交流。12年に長崎に戻った後、「-証言の会」の活動に加わった。
 「原爆問題に若いころから意識を高めてきた“エリート”ではない」。だが今は、被爆体験継承に向けて役割を果たそうと、揺るぎない決意を抱いている。
 
◎著作紹介
 長崎大などの研究者が地域やテーマごとに史実などを紹介し、4月に出版された「大学的長崎ガイド-こだわりの歩き方」(昭和堂刊)。
 この中で、山口さんは「長崎原爆を伝える」をテーマに執筆。コラムを含め全20ページながら、原爆が投下された当時の長崎の状況や戦後史、体験継承といったエッセンスが詰め込まれている。
 原爆当時の状況では「長崎」と「浦上」の対比を扱った。カトリック信者が集まって住むと同時に被差別部落が存在し、軍需工場や学校が進出。これに伴い、住宅整備が進んでいたことなどが紹介されている。現地に残る被爆遺構や現在の街並みを見る際に、重層的な理解の手助けとなりそうな内容だ。
 戦後史では、復興の進展とともに、被爆の実相を伝える市民運動が進む経緯をかいつまんだ。継承についての考察では、「非体験者であっても、落語の弟子のように、さまざまな『師匠=体験者』に学び、自分なりの原爆像・戦争像を結んでいけばよいのではないか」と提案している。コラムは「女性たちの原爆体験」について。320ページ、2484円。